拾う神
6月5日
「お兄さん、空手ですか?」
蒸し暑くなったテントから出て、劈掛拳の練習をしていると老夫婦から声をかけられた。
婦人も仙台で太極拳をしているらしく、興味を持って声をかけてくれたらしい。
「そこの小さい山を一つ越えたところに家があってね。よかったら、あとで遊びに来て頂戴。お茶ぐらいは出しますから。」
…? 一瞬、意味が分からなかった。今自分は、とんでもない厚意をいただいているのだと自覚するまでに、少し時間がかかった。
「30分もすればまたここに戻ってきますから。もし待っててくれたら、連れてきますよ。」
「はい、待ってます…。」
身支度を整え、木陰で休んでいると。本当に先ほどの婦人が帰ってきた。
心のどこかで、”来ないのでは”と思ってしまっていた自分は人間不信なのだろうか。
野宿をした公園から3分ほども歩くと、仰っていた通り小高い坂に差し掛かる。そこを越えると、四方を山に囲まれた段々斜面の土地に出た。
「ここは亘理の鹿嶋ってところでして。すぐそこにあるのが、鹿島天足(あまたらし)神社。”てんそく”って言う人もいるんですが、間違いですよ。昔、伊勢の宮司さんがてんそくって言っててね、神職なら勉強していてほしかったな~…。」
なんて話しながら、夫婦の家へと案内される。荷物を背負っているとはいえ、私の歩行速度とほぼ同じ速さで歩いている。鍛えているってことか…!
家は木造のきれいな三角屋根であり、天井付近の太い梁が目立つリビングに通された。大き目の出窓からは、今しがた歩いてきた緩やかな斜面が見渡せる。いい家だ。
「立派ですね。何年ぐらいここに住んでるんですか?」
「定年退職してから、25年ぐらいかなぁ。今はもう85歳だけどさ、のんびり無職生活を送っているよ。」
と旦那さんがニヤリ笑いながら教えてくれた。
「朝ご飯食べてないんでしょ? 食べていきなよ。」
と、旦那さんと話している間に奥さんがとんでもないご馳走を並べてくれた。
ついさっきとったばかりという自家製野菜のサラダに、チーズを含んだ卵焼き、バター、リンゴジャムの付いた分厚いトースト。コーヒーにはお砂糖たっぷり。
ヤバイ、これは現実なのだろうか。
「これは…顔が緩みますね。」
「お粗末さんですけど、召し上がってください。」
手始めにサラダを口へ運ぶと、なるほどさっき採ったばかりだと納得できる、シャキシャキとした歯ごたえと瑞々しさが歯の間で踊った。
仙台生まれの旦那さんは退職前、労災病院で働いていたらしい。仕事一筋で、1、2年間隔で転勤しながら働いたそうだ。北は青森から、南は神奈川まで。15年も単身赴任をしながら働き続け、定年となったことを機に”もう、仕事はいい”とこちらへ家を建て、越したそうだ。
窓を開ければ、爽やかな涼風が舞い込むこのロケーションと、立派な家。それらが旦那さんの努力を示している。
奥さんはというと、北海道は小樽出身だったそうで。看護師としてそこの病院で働いていたらしい。
勤めていた市立小樽病院の絵。今もあるかはわからないとのことだ。北海道へ渡ったら、確認してみようか。
その後、本州の方は面白そうだと聞きつけ、仕事も決めずに北海道を飛び出してきたのだという。
「今思うとさ、やっぱり若いってすごいよねぇ。今だったら考えられない無謀さだったわ。」
娘さん息子さんもとうの昔に一人立ちし、今は家庭菜園をしたり、散歩をしたりと悠々自適な老後生活を送っているようである。たまに友人や近くの子供たちも遊びに来るらしく、寂しくもなさそうだ。
こんな生活ができるのは、若い時の労力もさることながら。私なんぞにご飯を振舞ってくれる器の大きさも影響しているのだろう。
梶井夫妻
私にできる恩返しと言えば、今はもう遠出はしなくなったというご夫婦のために、今まで訪れた場所を紹介するくらいだった。土浦で永長さんに世話になったときもそうだが、紀行文を書くことで各地のことを覚えていられているのは幸いだと思った。
ご厚意は重なり、シャワーまで浴びさせていただくと。名残惜しいが、身支度を整えお別れをすることにした。
「北海道でなんか困ったことあったら、連絡して頂戴。」
と頼もしい連絡先もいただいて。三角屋根の家に背を向けた。
前の職業柄、こうして厚意を賜っている旅人の話は聞いたことはあるが。まさか、自分の身には起こるまいと思っていた。
自分もいつか、あんな懐の広い人間になりたい。立派な家も欲しい、土地も欲しいし奥さんも欲しい…。…そのためにはやっぱ働かなきゃダメか?
「いやっでも今は、旅を続けよう。」
ここで旅を辞めたら、こうして会った人々の想いも無駄になるのだから。