家があった
6月4日
「お待たせいたしました。卵はおかわり自由なので、ご希望でしたら仰ってください。」
「卵がっ!? ご飯は?」
「ご飯は80円かかります。」
825円(税込)
炎天下がたまらず、『道の駅むらた』のそばにあった『たまご舎』に駆け込み、卵かけご飯セットを食す。
冷水を飲み干すとおかわりを注いでくれるお姉さんに天使を見ながら、地図を眺めていると、東に『鳥の海』なる小島がある入江を見つけた。
面白そうだし、そこへ行ってみよう。
4号線を通っていって、6号線に入って…、ってあれ? 通り過ぎたか?
ここを曲がってみるか? 美田園駅? そんなドラマ最近あったよな…。とにかく、東へ…。
そうこうしていると、急に気温が下がり、目の前が霞んできた。そして、肌がベタついてくる。海が近いのだろうが、そのせいだけではあるまい。明らかに天気が悪くなってる。
まぁ雨が降るほどではなさそうなので、しばらく海へ向け進んでいくと。広場に出た。
ここは…、そうか、もしかして…。
奥に見えるモニュメントに、近づいてみる。
「ああ、そうか。そうだったね…。」
そう。ここは2011年3月11日、東日本大震災による津波の被害を大きく受けた場所、岩沼だ。
市の半分弱が浸水し、じつに150名もの犠牲者が出た場所、そこがここなのだ。
このモニュメントは、慰霊碑。
そしてこの場は、『千年希望の丘』というらしい。千年後の世代へと、この悲劇と教訓を語りつぐ公園であったのだ。
震災により生じたガレキを再生活用した、丘。同じようなものが一帯に15基ある。
丘の上からは、今だ更地が残っている現状と、仙台空港が望めた。
仙台空港は被災当時津波によって壊滅的な打撃を受けたが、排水ポンプ車を全国から集中投入することで、じつに震災直後の3月16日には滑走路を使用可能にまで復旧、日米の『トモダチ作戦』の拠点として活用された。
丘の上に、航空写真の看板を見つけた。
“ここの現状だろうか?”と近づいて見てみると。こう言ってはいけないのかもしれないが。ゾッとした。
それは、震災前の航空写真だった。それが現在の丘の位置と照らし合わされている。
私が今、まさに立っているこの場に、多くの家があったわけである。だが看板から目を離せば、それらが一つもない。
衝撃的だった。
いわきでも更地は見てきたが、なぜだか今回のこれは、この事実の突きつけられ方は、胸に刺さるものがあった。
「家ってそんな簡単になくなっちまうものだったっけ…? ありえねぇよ。」
さぞ、恐かっただろう。いやあまりにも急なことで、恐さを感じる暇もなかったかもしれない。無惨だ。辛すぎる。
慰霊碑に手を合わせ、その場を後にする。
あの霧は、彼らの涙なのか。
ちなみに件の島とは、こんな感じだった。
橋の入り口は閉鎖されており、入れなかった。残念。