原動力~余り~
~前回より~
電気屋の旦那様と、晩酌を交わす。
「俊おじさんにはね、ほんっとーにお世話になったんだよ。火事があったときなんかも…。」
俊おじさんとは、私の祖父のことだ。私が生まれる前に亡くなってしまったから、面識はない。
母はよくいい父だったと言っていたが、家族以外から祖父の話を聞くのは初めてだ。
大工として勤勉だったこと、よく遊びに連れて行ってくれたこと、子煩悩だったこと—。
初めて聞くようなことばかりだった。
「そっちの家では言わないべ、世話したことなんか。」
その通りである祖父よ、そんなに良い人だったとは知らなかったぞ。福島行ったら、お参りにいってやるからな。
それから、奥さんと娘さんを交えて。私のこれまでの旅で出逢ったことを、8Kテレビに写真を映し出しながら紹介させていただいた。
「この岩、若干緑色になっているじゃないですか。地下何万キロから隆起した岩らしいです。」
「ここは、公共事業で池を作っていたら、突然古代の蓮が発芽したことで有名になった場所で—」
「行田は足袋業が盛んだったんです。だから、このように色んな蔵が残っていて…。」
「佐倉の城址周りには侍屋敷がありまして。この風流な場所は、ひよどりの小路といって—」
話していると、「よくそんなに憶えてられるねぇ~」との言葉を頂く。普通、行ったところでそんなに覚えられないと。
言われてみれば、我ながら不思議であった。よくこんなに覚えていられるものだ。覚えようと思った気などはないのだが。
言葉にし難い感覚だが、覚える。というより、身に沁みているというか…忘れる理由がない、というような感覚であった。まるで…そうだな。転居したら、最寄りのスーパーの位置などある程度の地理を頭にインプットしてしまうときのような、覚えるというより身に沁み込ませる感じ。
現地を歩き、人や看板から情報を得、それを記述していると。それと同様の感覚になってしまうようである。
もちろん先は長いゆえ、忘れてしまう可能性もあるが…。
私の話や写真にしかと顔を向け、興味津々に聞いてくれる方々の顔を見ていると。こうして旅をすることにも多少の生産性はあるのでは、と感じるしだいであった。
「茨城の南の方はまだ見てないでしょ。明日は1日回ってきて、また泊ればいいよ!」
…まぁ、長引く分には困ることはない。厄介になることに後ろめたさはあるが、お言葉に甘えることにした。
—茨城編、さらに延長—