原動力
3月23日
昔、私が福島の実家から神奈川の居宅へ帰る際、シジミンと連れ立って通った道――霞ヶ浦を臨んでいた。
“浦”、とはよく言ったものである。伸び伸びと吹きすさぶ風に撫でられて白波を立てる様は、まさに海だ。
「今は、あの時と違って一人だ。だが—」
シジミンに受けた恩を思い返す。
まだ、私がなぜ旅をしているのか、はっきりとした目的、答えは見いだせない。
だが、恩を報いるため、友のためならいくらだって走れる。一人では絞り出せなかった、原動力を見いだせる。
これはもはや、私一人のための旅ではないのだ。一人だが、孤独ではない。
理由なんて今はどうでもいい。ただ、進め。前へ、前へ、前へ―――。
今まで出会った、全ての人のために—
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栃木の県境に達する前に、茨城ではもう一ヶ所寄っておきたいところがあった。
霞ヶ浦で声をかけられたおじさんが発した「サムライならね、鹿島神宮のでぇーっかい太刀も見てきなよ!」という言葉も魅力的だったが。そうではない。
土浦に親戚がいるのだ。以前、東日本大震災の後には、テレビなどを提供していただいたこともあるありがたい電気屋だ。
土浦市と阿見市のほぼ間に位置する路地へ入っていき、電気屋の事務所を訪ねる。
私の母のいとこ—実はあまりお顔を覚えていなかったので、恐る恐る「永井(仮名)さんですか…?」と尋ねると、あちらも「あっもしかして平の…」と気付いてくださった。
それからコーヒーなどいただいて、しばし話す。
電気屋はもう50年以上やっていること、今はもう個人の電気屋なんてなくなってしまっていること。家のすぐそこにテレビに映ったかき氷屋さんがあること、そういえば昔は夏祭りで子供がにぎわい、ここでもかき氷機を集めて売ったこと。天然のかき氷は冷たすぎず、頭が痛くならず、製造機のブレードもいいものはカンナのヤスリのようで、ふわっふわのかき氷が…あれ、脱線してるか?
八龍神社で出逢った、おばあさんの話を思い出す。
少子高齢化。私としては他人事だったが、やはり大先輩の身からすれば、子供が年々減っていくことは敏感に感じ取られるのだろう。子供は、まさに活気そのものなのだ…。
「じゃー、今晩は家に泊っていきな。」
「えっ」
なんというか…。
その、ごめんシジミン。やる気出して別れてきたのに、また人のお世話になってしまうことになった………。
―茨城編、延長―
~少しだけ次回へ続く~