星を臨んで
10月11日
「ポケモンゲットだぜ。」
…といっても最近のポケモンってよくわからん…なんだこの蟹……。
“今のマックのハッピーセット、ポケモンカードらしいですよ! ポケモンとか全然興味ないですけど、こっちのカード欲しくないですか!?”
というはっちゃけた日本人のクラスメートに誘われて、オーストラリアで初マック。
一体何年振りかわからないハッピーセットを貪っていると、ラインの通知が届く。
こっちの国で、メジャーなメッセンジャーアプリはWhatsAppかInstagram。ラインの通知が届くということは、日本の知り合いからということになる。
“今からカジノの方に来れますか?”
馴染みのある差出人の名。二つ返事で、ブロードビーチへ向かうことにした。
~~
レジュメ配りのため、ほぼほぼの道は踏破したといえるブロードビーチ。
だが、唯一足を踏み入れたことがないエリアがあった。
ここ。『The Star Hotel』である。
ゴールドコーストにおいて、間違いなくトップクラスのホテル。
画角に収まりづらい高層ビルは、ある種ブロードビーチのランドマーク的存在となっており、
下はこのような感じで、ホテル全体が”島”となっている。
下層には各種レストランやカジノがあり、滞在者が優雅なひと時を楽しめるようになっている。
もちろん、滞在者以外でもギャンブルを楽しんだりできる訳だが…。あまりにも敷居が高い。私には無用の場所であると、この島には一歩たりとも踏み入れたことがなかった。
そこに、今、踏み込む。
エントランスの一つ。
当たり前のようにゴミ一つ落ちていない。なんだかメタバース空間のような整然さだ。
「ほわぁ…!」
なんというか、建物の中に街があるような。
巨大スクリーンと複雑怪奇な造形のシャンデリアが並ぶ円形ホールに、カフェに中華料理、日本料理店など、オーストラリア人が好みそうな店が並ぶ。
それら一つひとつの、整然と並べられたバックバーなどに惚れ惚れしながら、あたりをキョロキョロしていると。目当ての人物が見つかった。
「シュンくんひさしぶりー!」
渡辺氏。
にんまりと笑顔で迎えてくれたこの方こそ、私がオーストラリアに来るキッカケとなった人物、そのものである。
“オーストラリアに来てみない?”
と、声をかけていただいた春先の日を。忘れはしない。
元はというと、彼は母の友人であり、その縁で今年のはじめごろに私も対面。一緒に食事などをご一緒させていただき、有難いことに日本一周含め、今までの(右往左往な)経緯に興味をもっていただけて。
海外への勧誘をはじめ、じつに多くの面でサポートしていただけた方である。
なぜ私が急に海外へ行くことになったのか。ずっと述べていなかったが、彼が私を新大陸に誘ってくれたから、というのが一番の理由なのである。
「飛行機の中でさ、偶然知り合いの日本人に会って。ずーーっと話してたから、寝不足だよー。」
つい数日前まで、事業をしている栃木の那須へ滞在していたが、今日の朝オーストラリアに到着。
住んでいるのはここ、スターホテルである。そう。住んでいるのだ。客としてではなく、十人として。
「いろいろお母さんから聞いたけど、大変だったみたいだね~。」
「ええ。もう本当に、いろいろと心が折れそうなこともありましたが…。今ようやく、心に余裕をもててきた感じです。良い表情で”ナベさん”とお会いできて、良かったです。」
カジノの中にあるレストランにてご馳走をしていただきながら、近況報告を交わす。
最近は、外食へ行ったとしても安価なものばかりで、乾いたようなご飯や肉ばかり食べていたから、暖かい食事が身に沁みる。
「シュンくんはよくやってると思うよ。入国前にRSAのテストを受けて、初日からレジュメを配ったりして―」
「いえもう、褒められたもんではないです。ただ、必死だっただけで。」
毎日毎日、ただ明日を生き延びたい一心で必死だっただけ。その必死の努力さえ、きちんと実ったとはいえない。結局、安心できる仕事に就くのに一ヶ月もかかってしまった。
「そう言っていただけるのは本当に嬉しいですけど。やっぱ上手くいかないもんですね。」
「まぁねー。人生、山あり谷あり。僕も色々あったからさぁ。でも、それに慣れちゃうと、だんだん恐いものがなくなってくるよ。」
ナベさんがこの一流ホテルに住むまでになったのには、もちろん努力の背景がある。元々は日本でコック、バーテンダーをしていたらしく、やがて六本木でバーを開くまでにも至ったが、新天地に焦がれオーストラリアに渡り――…と、挑戦に挑戦を重ねてきた方である。
もちろん、私は彼の総てを知っている訳ではないけれど。酸いも甘いも幾度も経験してきたことは、立ち居振る舞いからなんとなく確信することができた。
思えば、日本の旅でお世話になった人もみんなそうだった。長崎の川口さん、佐賀の一之瀬さん、兵庫の山下シェフ…。カッコいい人たちはみな、味わってきた辛酸を笑いながら話し、そして最後にはこう言うのだ。
“だからもう、大抵のことが起きても、「何とかなるだろ」って思えるかな”
そう語るに値する風格が、歴戦の猛者たちには、ある。
「カジノでも見て、部屋も行ってみようか。」
眩しいぐらいに輝くバーを中心に、いくつものルーレット、ゲーム台、TAB(Totalizator Agency Board、競馬やスポーツ賭博をする場)が並ぶ。
特にルーレットやブラックジャックなんて実際に目にしたのは初めてなので、興味津々でディーラーの手さばきに注目してしまった。華麗にボールを回し、トランプを切る。
バーテンダーの所作に似た、美しさを感じる。せっかく海外に来たのだから、いずれはこれも勉強したいものである。
グルリと一周した後は、レジデンスの方へと移動し、エレベーターへ。ナベさんがカードキーを通し、”49”のボタンを押した。
「西日が強くってさ、ムワッとするけど。どうぞ~~~。」
うっっっっっっっわ。
うっっっっっっっっわ。
なんだこれ。
何万ドルの景色だ?これは。
私がこの1ヶ月、何度も何度も歩き回った道たちが。みみっちく思える鳥瞰図が、画角を超えて広がる。
「手すり低…!」
海外クオリティのバルコニーから落下しないよう気を付けながら、しばし風を受ける。
西日に目を細めていると、ナベさんが山の方面のガイドをしてくれた。
(あれほど駆けずり回って、知ったつもりでいる土地も…たったのあれっぽっちか)
内陸の方には、まだまだ知らない景色が見える。
見下ろす側の視点があるということと、そこから更に見える景色があるということ。
二つの事実を、突然に、強烈に突きつけられて。絶景に興奮する反面、まだまだ自分の行動が矮小であることを痛感する。
~~
それから、パック(パシフィックフェア。昔馴染みの人はこう呼ぶらしい)でお買い物に付き合わせていただいたりして、一旦解散したのち、また晩御飯をとホテルで落ち合う。
今度は中華をご馳走していただく。肉に野菜にチャーハン。日本一周の時が如く、”食える時に”と言わんばかりにがっつく。
ある程度皿が空くと、ウェイターがそれを下げに来た。
「How was the dishes?」
ん? なんかこのウェイターの発音、馴染みがあるな。
Goodと言いながら、ナベさんが「Where
are you from?」と尋ねる。
「Japan」とウェイター。
…なるほど。日本人特有のカタコト英語だから、親近感を覚えたのか。
私たちも日本から来た旨を伝え、少しばかり言葉を交わす。オーストラリア歴30年というナベさんの経歴に、ウェイターは驚いていた。
「お邪魔してすみません」と颯爽と下がる姿に、軽く畏敬の念を抱く。
「こんな凄いホテルでも、日本人がけっこう働いているんですね…。」
彼だけでなく、レストランの受付、カジノのディーラー、クリーナーなど、日本人は何人も見受けられた。
「けっこう、見かけるよねえ。ワーホリの人から、永住してる人まで。」
ナベさん曰く、バブル当時。昔のゴールドコーストのほとんどの施設は、日本資本だったらしい。無論、今は代替わりし中国資本などに移り変わっているそうだが。
それが関係するかは定かでないが、日本人が遠い異国の地でも活躍していることに、嬉しさを覚える。と同時に
「…ちょっと、羨ましいというか、メラメラっとしますね。私のいるQTホテル(ヤマゲンの所属するホテル)もなかなかですが、上には上がいるというか…。」
このホテルは、何もかもが、私が見てきた以上、持ってきた常識の規格外で。
私もここ1カ月…いや、日本も含め、研鑽を積んできたつもりだが。この空間には、遠く及ばない。
「早く、こういうところに辿り着きたいです。」
「まぁ、まぁ。一つずつ、ね。今は、目の前のことをクリアしていくことだけ、考えていればいいと思うよ。」
私をなだめるよう、ナベさんが語る。
「今はもちろん、バーテンダーとか、バリスタで活躍することに夢中になっていいと思うけど。続けていくと、また違う道も見えてくるかもしれないから。せっかく新天地に来たんだし、自分で道を狭めないで。いろんな出逢いを経て、いろんな可能性に手を出していってほしいな。」
たしかに。
焦る気持ちもあるが、今が手一杯なのも事実。まずは生き残らねば、何もできやしない。
とりあえず今は、1日1日をがむしゃらに生きるしかないのである。
…結局、今までとまるで同じだが。
しかしそうすれば、今までと同じように。
ふと振り返ると見える、ちょっとは誇らしい足跡が出来ているかもしれない。
ほっと一息ついたときに気付く、隠された道が見えるかもしれない。
エンジニアがライターに、旅人がバーテンダーになったように。
「……ですね。」
目標を持つのは結構。かといって、それに縛られないのも重要。
ナベさんの言葉を借りれば、湖面に佇むボートのように。流れに身を任せる奔放さ、柔軟さも、また人生の鍵である。
星のように輝くホテルで、胃袋も胸もいっぱいにして。ナベさんと別れた。
…とはいえ、自分で帆を張り、世間の風を捕まえ航海を試みるのが、私のボートの動かし方なんだよなぁ。
「さて! 今日は、マーメイドウォーターズから、サーファーズまで。カフェでレジュメ配り、やりきるぞ!」