冬の味
12月22日
「おーすごい! マジでサイドフリップだ! よーし俺も劈掛拳を…痛ててて首が」
「大丈夫?(笑)」
偶然宿をとっていた磐田の近くに、高専時代の友人がいたので何年か越しに会ってみた。
待ち合わせ場所の公園ですぐに気付ける程度に面影は残っていたが、やはり大学、就職と経た級友の姿は大人びていて眩しい。
対する私は、ホテルの枕で寝違えて顔を上げられなくなり、不審者極まりない挙動となってしまっていた。
「いやー、ほんとに侍って恰好で旅してるんだ。なんかホント…すごいと思うよ。
口には出しても、そういうことを実行する人っていないから。」
「いやいや…まだまだだよ。そっちはどう? 生活の方は?」
「仕事はほぼほぼにして、もう趣味全振りにして遊んでるよ。こうしてパルクール練習してる時間が、すっごい楽しい。」
「バンジーとかもしてたしね。」
「そう! あれメッチャ気持ちよくてさ~。」
たまにインスタグラムで見る彼の投稿は、正直羨ましいぐらいみんな楽しそうである。
仕事は大変…なんて呟いてはいるが、楽しくやっているみたいで安心した。
「いいじゃんいいじゃん、生産性なんかクソ喰らえだよ。楽しいことやってりゃいーじゃん!」
「ほんとソレね。」
その後、浜松餃子を食べながら、どういう流れが地方の県当てクイズを出したりして遊ぶ。
「九州…7県だよね、あと二つ、あと二つなんだっけ…。」
「”か”だよ、か。」
「か…あー! 鹿児島! 西郷さんか!」
「そう! あと一つは”さ”!」
「佐賀かぁ! …佐賀ってどこにあるんだっけ…!」
長崎では東北の県が分からない、なんて話にも出会ったが、やはりどこにもそういう問題はあるようである。
「兵庫の西は…広島だっけ? なんかあったっけ…!」
「うあーダメだよ! 岡山の人怒るぜー?」
と言いつつも、私自身”あの県を忘れるとは!”と若干興奮気味になってしまう。
…そうなってしまうほど、色んな県と接してこれた、ということだろうか。
「年末は帰るの?」
「うん。木村君は?」
「俺も、帰れたら帰りたいけど。ロケットⅢを東京に預けたいしなぁ…。」
無論正月休みが終わらないと、トライアンフは開いていない。
「まぁ、都合があったら向こうでも会おうぜ!」
「うん!」
磐田駅まで送ってもらい、級友との談笑はお開きとなった。
12月23日
寝違えは…、よしよし、だいぶよくなってる。一晩中、首をガッシリ固定して寝てたからな…。
国道150号で静岡市へ近づく。ヘルメットをかぶると流石に首が痛むが、なんとか耐えられそうだ。
海でも見えればまだ気は紛れるんだが、それはまだ先のようである。
150号は御前崎を通るので、静岡市に入る前に”金魚のアゴ”の海岸を見に行ってみる。
「おお、おお。見えるじゃないか…彼の姿が。」
宿っているのはコノハナサクヤ姫だと聞くから、彼女と呼んだ方が正しいのかもしれないが。
草っぱらの空き地から丘陵状に整備された遊歩道へと上がり、できる限りその姿を近くで拝む。
ついに捉えたぜ、富士山。
いつも山梨側ばかりから見ていたから、駿河湾越しに見るのは初めてか。
陰の形だけ確認できるその姿は武骨な岩山のようで、やはり”彼”と言いたくなる雄々しさがある。この時期にしては珍しく、白い肌が見えないのもそれに拍車をかけていた。
今年はまだ雨雲が少なく、例年より冠雪するのが遅れているらしい。
「いよいよ、って感じだなぁ。」
遠いようで、近い距離。きっとあっという間についてしまうんだろうな、あそこにも。
~~
三重・水沢の宿で教えていただいた、国道150線の”イチゴライン”なる区間を走る。
聞いたとおり海岸線を駆け抜けられる快走路で、ギヤチェンジをしなくて済むぶんスッとした気分で走れる。今日は風も少なく暖かいので、生きた両掌の感覚でグリップを握り込めた。
さてこのイチゴラインだが、その名前の由来は15(イチゴ)0線だからというだけではないらしい。
ここ久能(くのう)山の辺りには、石垣いちごなるイチゴが大量に生産されているとのこと。
イチゴといえば、まさに今が旬の果物(本来は春の食べ物だが、クリスマスケーキの需要で冬に出荷できるようになったらしい)。ケーキは食えずとも、イチゴぐらい食ってもええんじゃないか…ということで、ちょっと立ち寄ってみた。
色々な屋号を掲げたカフェ兼イチゴ屋さんが乱立している。
また久能山といえば武田信玄が築いた久能城があった場所であり、日本最初の東照宮『久能山東照宮』がある土地としても有名である。
ぜひそのご縁にも与りたいのは山々なのだが、首を痛めた状態でバックパックを背負いこの安土城址ばりの石段を上るのはキツい。おとなしく、イチゴだけ食ってくとしよう。
麓にある久能梅林までは上ってみる。イチゴ栽培のビニールシートが、山肌に沿って肩を並べているのがよくわかる。
明治の時代、ここに住んでいた川島常吉(つねきち)なる人物は、東照宮の宮司・松平健雄が転任してきた際にエキセルシャ種のイチゴの苗をもらい受けたらしい。
それを桃畑の石垣近くで栽培してみると、育った蔓は石垣の間に這い上がり、石の輻射熱で冬だというのに赤く早熟したのだという。まさに、現在の冬食べられるイチゴの先駆けとなったわけだ。
大正ごろからは石垣の代わりにコンクリート板を使っているが、先人たちの志は未だに息づいているのだろう。
その証拠に元祖である常吉いちご園の看板を背負った店もあるみたいだが、残念ながら窓口は閉まっていた。
入口近くにあった『久能屋』で、イチゴパフェ(Mサイズ)を注文する(600円)。イチゴは赤白選べるらしいので、なんかカッコいいから白を注文しておいた。ソフトクリームもバニラとストロベリーで選べるが、そっちは無論ストロベリーで。
おお…。パフェ、パフェだ! いつぶりだろう…!
“本当に真っ白なんだな”とイチゴの白さに見とれるのもほどほどに、トップに並んでいるイチゴをつまんで口に投げ入れる。
「ちべたっ…!」
そして、甘い! …だけでなく、すぐさまほんのりとした酸味が口の中に広がっていき、思わず奥歯が浮いて、顔が綻んでしまう。これはまさに、冬の味だぁ!
ソフトクリームも当然の如く旨く、イチゴの味が余すところなく煉り込まれている。材料をケチっているような薄っぺらさがない、濃密な味わいだ。ソフト自体もシャーベットのようにキンキンに冷やされており、”夏だからラーメンが食べたくなる””冬だからこそアイスを食べたくなる”というあの人間の謎欲求も悉く満たしてくれた。
堪能しました!
今まで旬に食べられたものといえば、愛媛のミカンぐらいしか思い当たらなかった。旅の終わりごろになって、ようやく季節とマッチした食の悦びが味わえたことで、一つ後悔を減らせた気がする。