薪
12月15日
「えっ雪降ってるんですか!?」
慌てて外を見てみると、”こちらは”快晴のようである。
“あらもう和歌山にいらっしゃるの。いえね、何回も電話かけようかかけようかって思ったんですけどね…。”
朝、携帯を鳴らしてくれたのは佐賀でお世話になったイチノセさんだった。なんでも向こうは今日初雪だったらしく、私の身を案じて電話をしてくれたとのことである。
そのお気持ちと、久しぶりに聞くおしとやかなようで弾むような声に、寝起きから勇気を頂く。
自分はなんて恵まれているんだろうか。
また九州に行きますと約束し、名残惜しくも通話を切った。
身支度を整え、紀伊勝浦の素泊まり民宿を出る。
経営してらっしゃるご夫婦はどちらも懇切丁寧に対応をしてくださる方で、すこぶる居心地がいい場所であった。安いし。
「その恰好で走るんですか? 寒くないんですか?」
「大丈夫です。修行、なんで。」
出発するときも、奥さんが作業の手を止めて見送ってくれる。"修行です"なんて台詞も、今となっては堂々と恥ずかしげもなく言えるものだ。
お話をしている最中、奥さんよりGoToトラベルキャンペーンが中止になったことを知らされる。そういえば昨晩母も言ってたか。28日までらしいから、私の旅にそこまで差支えはないと思うが…。
「事業の人に聞いても、人によって回答が違ったりして。困っちゃうんですよねぇ。」
大変なのは、我々旅人よりも宿泊施設の方たちである。
唐突に決まったキャンペーンなのだ。誰が悪いという訳ではないが、誰もかれもが初めてのことにてんやわんや。宿の人間はもちろん市役所もGoTo事業団体も全体を把握している人はいないようで、とにかく困ったものです…と、奥さんはため息交じりに笑う。
「それがまた急に中止になんてなったら、また一波乱ありそうですよねぇ。」
「全く…、本当ですね。」
早く、元の世の中に戻ってほしいですね。そんなことを言い合って、暖簾をくぐる。
「その羽織、良い色褪せ具合ですね。サマになってますよ。」
~~
「三重に行く前に、ここも寄っとかないとな…。」
和歌山と三重の県境すぐそばに、熊野三社の一つ、熊野速玉神社がある。
ここは他の二つに比べて街中なのでアクセスしやすく、周りには昔版プレハブ小屋である”川原家”が軒を連ねていたりして、土日なんかは賑わいそうなようす。
「本宮の方は、またいつか来ます…と。」
お参りをして御朱印をいただいていると、「徒歩の方ですか?」なんて年配の男性に話しかけられる。今更だが、バックパックを背負う関係上徒歩旅に間違われやすいのが私の恰好だ。
「いえいえーバイクなんです」「おお、いいですね。私も毎年、原付で北海道に行ったりするんですよ」…てな会話をして。
ロケットⅢのもとに戻ると、そちらでも「おっきいバイクだねぇ」とまた別の方に話しかけられる。…なんだか、今日は妙に話しかけられる日だな…。
その方と話していると、今度は別の若い男性が近くに来て。「その恰好は、何の着物なんでしょうか?」と尋ねられる。おお…今日はなんだか嬉しいな。
「居合道です」「おー、私も居合道やってみたいんですよね。でも心の平静を保つとか、大変そうだなって…」「んーー、入口は興味本位でいいとおもいますよ。」「そうなんですか。弓道はやっていたんですが…。」「えっ弓道!? そっちの方が多分、礼とか厳しいと思うなぁ…。」
聞くにこちらの弓道男性は本日伊勢から来たらしい。
「伊勢ってけっこう遠いですよね…ここから。」
「遠かったですねー。けっこう時間かかりました。」
なるほど…、伊勢神宮にも行ってみたいのだが、やはり今日中には無理だろうか。
代わりにこちらは那智までの距離を教えたりして、別れを告げる。
さぁ、三重だ!
~~
走っていると確かに今日は肌寒く、少々体が震えを覚え始める。
海っぺりに近づくと風も強くなりだし、ロケットⅢの車体を揺らし始める。
気が気でならない状況…なのだが、
「海、メッチャキレイーーー!」
紀宝町の七里御浜は恐ろしいほど深い青をたたえており、砂浜も美しい。こりゃあ、ウミガメが産卵しに来るわけだ。
寒風なんぞ構うものかと目を輝かせながら、シーサイドラインを快走する。
昼食をとったすき家の向かいにあった、世界遺産・獅子巌(ししいわ)。これはたしかにライオンに見えるわ。
その近くにはさらなる奇岩が並んだ『鬼ヶ城』なる世界遺産があるそうなので、そちらに寄り道してみる。それにしても熊野は世界遺産の大売り出しだな。
駐車場から崖沿いの遊歩道で現地へ。海は沖縄で見たもののように美しいグラデーションを映しており、心が躍る。
向こうに見える島は、魔見ヶ島(まみるがしま)、別名マブリカという無人島で、坂上田村麻呂が鬼を一矢で仕留めたという伝説の地らしい。…ついに坂上田村麻呂の名をまた聞くところまで来てしまったか。
たぶんこれが鬼ヶ城。
奇岩なのはわかるが、逆光のせいでシルエットしか見えないよね。
では測光を変えて。
…なんというか、こればマジで鬼の顔だな。
退治されて泣いている鬼のように見える。
その裏側はさらにとんでもないことになっており、石英の粗岩があたかも波のようにその身をうねらせている。
ただ波の形をしているだけでなく、その表面では尖ったいくつもの波蝕跡が複雑に絡み合っているおかげで、”本当にここには鬼が居たんだ”というおどろおどろしさを醸し出している。
夢中になって撮影していると、「すごい荷物ですね」と声をかけられた気が…。いや、今日に至っては気のせいじゃないな。
1段下の岩場にいた男性から、声をかけられていた。岩場でお弁当を食べていた彼もリターンライダーでバイクで来ていたらしく、短いながらも会話が盛り上がる。
「すごいですね、家を引き払って……。勇気がありますね!」
「いえ、いえ。無謀です、無謀。大層なもんじゃないですよ。」
応援のお言葉に謙遜してしまうが、思ってみればあと6県である。今の私は、もしかしたら歴戦の旅人にも見えるんじゃあないだろうか。
「………。」
いやいやいやいやいや。まだまだ。
まだまだ、大層なもんじゃないよ。
~~
駐車場に戻ると、隣に駐車した車からでたご夫婦に声をかけられる。
「えー! その恰好でバイク乗るの!? なんかマンガみたい! 写真撮ってもいい?」
「え、ええ。こんなんでよろしければ…。」
言われるがまま奥さんと並び、旦那さんに写真を撮っていただく。今日は…、変な日だな。
別れ際、「そうだ、これで何か美味しいものでも食べて!」と、なんと千円札を手渡された。
「えっ申し訳ないですよ!」
「いいよいいよ! がんばって!」
ああ…、三段峡で焼きまんじゅうをいただいた時のように、またお名前も聞けなかった。
奥さん、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます。
~~
鬼ヶ城から尾鷲へは山を行く国道42と海を行く311があるのだが、”今日は海風が強そう””地図で見ると道がクネクネしてそう”とのことで、山を行くことにする。が、これが失敗だった。
寒い。
寒い日に山には行かんとあれほど言っておきながら、この期に及んでなにをやっているんだ私は。
連なる“凍結注意”の看板に冷や汗を流しながら、慎重にワインディングをクリアしていく。
「長いな…。」
そして深い。いつまで経っても、山道から抜けられる気配がしない。
おまけに海と同様に風は強いし、体力は一気に削られていった。
おいおいおいおい…。
峠に行かないって言ってたのに、とんでもない標高まで来ちゃったよ…。
“海行けばよかったかな…いや向こうは向こうで問題があったかも…”と後悔していると、視界の端でチラリと白い粒が舞う。
…雪虫、じゃ、ないよな………。
虫にしては素直に視界を流れていく。そして虫にしては、多すぎる。
ヤバイ。ヤバイヤバイ。雪だ………。
~~
積雪するほどの量じゃないので戦慄はほどほどだったが、尾鷲市街に着いてからも道の先に見える山々が、絶望を投げかけてくる。
「無料区間か…使っちゃおう!」
無料区間があるということは、下道が不便だということだ。
安定して走れる、高速道路を使うことにする。鳥取とかでも知らず知らずのうちに乗ってしまったことはあるし、今更”高速は使わない”なんて言ってられないだろう。
が、その無料区間も紀伊長島で終わってしまい。
金なき私たちは、再び下道に叩き落されてしまう。
「うわぁ…この道の駅いいなぁ…芝生もあるし、東屋もある。ここならテント、張れそうだなぁ……。」
だが、今日に至っては。それで大丈夫だろうか。
あまりにも寒すぎる…のは堪えればいいものの、もしこの雪が積もったりしたら。この先まだまだ続く山道を、越えられなくなってしまうかもしれない。
あれだけ走ったのに。一向に伊勢は近くならない。
「…! …~~~~っ!」
なまじ、止まってしまうと一気に寒さを感じ始めてしまう。
身体の震えを抑えつけ、鼻水を拭って。
今日中に、伊勢まで行くことを決意した。
~~
山道は続く。どこまでも。
もう、影もかなり伸びてしまっているのだが。山を越えても越えても、山が続く。まさしく、三重。山が重なり続けている地域だった。
寒色は体感時間をゆるやかにするというが、本当にその通りだ。時間も、あまり過ぎていないように思えて、苦痛である。
おまけに国道は伊勢までストレートに続いてはいないため、途中から人気のない県道38を通るハメになった。雰囲気も相まって、寒い。
どこだここは…。
我々ライダーの体感温度は、風に身を晒すぶん低い。
それは一説によると【気温―時速/3.6】で割り出されるらしいが、もしそうだとしたら…。
今日の最低気温3度を適用すると、60㎞/h巡行で体感温度は約-13.7度。とんでもない極寒地にいるのと同じなのである。
気合に反して体は勝手に震え、上半身の揺れはそのままグリップに伝わり、ハンドルを揺らす。
”ダメだ、それは危ないって、俺の体!”
こんなところで事故ってどうする。今日出逢った人々を思い出してみろ、みーんな応援してくれてたじゃないか! その気持ちを無下にするな!
今まで出逢って来た全ての人たちの”気を付けて”を、噛みしめて咀嚼して飲み込んで力にしろ!!
巡り逢ってきた人々との思い出は、私にとっての原動力。心を燃やす薪である。
身は凍えても、心は凍てつかせない。
その一心で、必死に走り続けること数時間後…。
ついに、山を抜け出た。宮川沿いだ。
「生きてる…、生きてる…。」
もはや精気がなくなったであろう蒼白の顔で、壊れたように呟く。
外宮の方へ行き、急遽予約したホテルに到着して…。
ぼーっとした頭の中で反復したのは、ただただ感謝の言葉だけだった。