風来記

侍モドキとバイクの放浪旅を綴ってます。

侍香る佐倉散歩

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「ぎゃああああ」

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起こすのを手伝ってくれた新星建設のスタッフと思われるお二方、ありがとうございます!!

 

コインランドリーにてこんな事態になりながらも、私は佐倉城址の公園にてテントを張っていた。

 

 

最近、電話にて祖母に

「頑張ってください、いや、楽しんでください。」

と言われた。母からは

「長い旅なんだからさ、休み休みでいーんじゃないの?」

とも言われた。

 

全くその通りだ。なんのために1年なんて期間を設けたのか。

という訳で、明日の雨の日は1㎛たりとも走らん!

代わりに佐倉城址を散歩しよっ…ということになった訳だ。

 

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ロケットⅢとテントを置き、折り畳み傘を開いて行軍を始める。

 

先んじて話しておくが、今回も取り立てて話すようなことはないので、スナップを軽く紹介するに留めておく。

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今回の散策路

 

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ここを抜ければ、侍の時代へ行けるのではないか…と思わせてくれる『ひよどり坂』。

実際、抜けてみると武家屋敷通りといういくつかの武家屋敷が見学できる通りに出る。

 

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無料だったので、『侍の社』なる旧佐倉藩士・西村茂樹旧宅跡へ

 

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裏庭などは、当時の生活を再現して植栽がされている。植物のほとんどは梅、柿、栗、ゆず、枇杷など、食べられる実をつけるものばかりだったらしい。苦しい生活の足しにしていたのだ。

また、剣術修行用の練習木も再現されていた。雨の中居合刀を出すのは億劫なので、とりあえず手刀を打ち込んどく。

 

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鋳金工芸作家の香取秀真が幼少期を過ごしたという麻賀多神社を巡り。

 

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なんだか悲しい光景となっている大手門跡を通り、本丸跡へ向かう。

 

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ゴルフ場…ではなく、空堀という水のない堀。これを巧みに配置して守りを固めたそう。

 

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その昔、乳母が若君を池のほとりで遊ばせていたところ、事故で溺れさせてしまったという逸話が残る『姥が池』。たしかに溺れそうな沼だ。

 

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堀田正陸公とタウンゼント・ハリス氏の像が建っている。二人は日米修好通商条約を結んだ立役者だ。堀田公は藩校の拡充や先駆けての蘭学の導入など、文武の奨励にも力を注いだ人物とのこと。

 

 

そして…本丸址。

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ここに、本丸があった。

金ノ間や御次の間、御書院、御広間、御風呂屋、籠具部屋、三重天守……。

いろいろな空間があったであろうに、今はただの、ぽっかりと空いた空き地だ。

 

佐倉城は、戦国時代中頃の中世城郭を原型として、16111617年の間に土井利勝によって築城された。

北に印旛沼、西と南に川をおさえ、西向きに突き出た「馬の背」と呼ばれる台地という地形。ここに水堀、空堀、土塁を築いて江戸の東を守る要所を担った。

佐倉城の特徴は、全国でも珍しい石垣を使用していない城郭であるということだ。当時、下総国では良好な石の産地がなかったため、土塁に頼って築城したのだという。代わりに言うなれば、戦国時代から続く土の城の集大成とも言える城である。

 

 

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時期になれば花見客で賑わうのだろうが、今は桜もまばらで、寒々しいといった雰囲気。

生い茂る木々の間から、霞の向こうへと続く印南の田畑が覗けた。

時の君主は、天守から、この景色を見ていたのだろうか。この広大な土地を、民を守らねばと、使命を感じていたのだろうか。

何百年か前は、この空き地の中を「殿―!」なんて感じで、侍たちが駆け回っていたのだろうか。…いや、殿はいないか。

当時にとっては何でもない日常も、現代人が思えば浪漫になるのだから不思議だ。

 

 

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厠のベンチに腰掛け、少しだけ、とりとめのない思案を巡らせる。

私の生きている今は、どんな時代っていうんだろう。未来では、何時代って呼ばれるんだろう。

世界とつながり、多種多様な人間や建築が織り交ざっているごっちゃな時代。

その中で、こうして考え込んでいる私。

 

こんな日常もまた、そのうち誰かの胸の中で思い起こされるのだろうか。

 

 

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猫も雨宿りしていた

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