大阪ストラット②
前回より
この桜宮橋を渡れば……。
「おっしゃ見えて来たぜ、大阪城!」
方向感覚が狂っていなかったことに安堵する。あとは、あの天守を目指して歩いて行けばいいだけだ。
都島区の藤田邸跡公園を抜ければ、大阪城の看板がやっと目に入る。
「見えてきましたよ緑の瓦が…!」
京橋を渡れば、いよいよ大阪城公園だ。
「でっっっっけぇ石垣…!」
表面積が約33畳という、とんでもない巨石が眼前に立ちふさがる。天主を臨む前から、もう圧倒されてしまった。
だがやはり、本当に圧倒されるのは。
「おおおおおおおおカッコえええ…!」
巨大な石垣の上に毅然と立つ、天下の名城・大阪城。取り付けられた金色の装飾は、この距離からでもわかるほど燦然と輝いている。
…そして何故だか、やたらカラスが多い。
そして堀の大きさもメチャクチャでかいこと。
今まで見てきた中で、間違いなく最大級の大きさである。ダムか。
極楽橋を渡り、いよいよ天守のお膝元へ。
大阪城は秀吉が諸大名に命じて作り上げた、言わずと知れた太閤を象徴する巨城。
その築城に際しての石材には必要に応じて大名や石工の刻印がされていたらしく、公園ではそれらを見ることができる。
…あなたには、見えるだろうか?
「でっけぇえええ………!」
気圧される…どころじゃない。思わず後ずさる。俺、豆粒じゃん……!
堅牢でありながら優美、規則正しい構造ながら流麗。なるほど、知らない人がいないほどの城である所以が、日本に生まれて25年目、やっと理解できた。
せっかくせっせと歩いてきたのだから、天守に上ってみたい。ただ、姫路みたいに1,000円もしたら…。
恐る恐る料金表を覗いてみると、燦然と輝く”大人650円”の文字が。
「すばらしいッ!」
姫路どころか、彦根城より安いんじゃないか。嬉々として入城券を買い求める。
入るぞ…!って時になると、なんだか妙に雲が厚くなる。そして烏の軍勢が…。
…なんだ……? 警戒されてるのか…?
ちなみに現在の天守閣は3代目で、太閤に建てられた初代は大坂夏の陣で焼失。2代目の徳川幕府に再建されたものは、落雷で焼失したそうだ。1931年、昭和に建てられたこの3代目は日本の復興天守第1号であるだけでなく、第2次世界大戦の空襲もまぬがれ今日まで超長期間残っている、めちゃくちゃ貴重な建物なのである。
城内は8階建てで、各層で伏虎のレプリカや大坂夏の陣の屏風絵が展示されていたりと、大阪城にまつわるアレコレを見て回ることができる。
撮影禁止の4、5階では、何故だか足利氏滅亡のあたりなど時代錯誤な展示もあったりするのだが……。撮影禁止なだけあって、貴重な資料が多い。
歩き続きの疲れもあったのか、そこまで展示物に見入る気もなく。
そそくさと最上階へと脚は進んでいった。
「自分で開けるのか…。」
いよいよ、太閤が見たであろう眺めを拝める。そういえば、天守に上るのはこの旅初めてか?
それに気付くと不思議と胸が高鳴りだす。が、気持ちを落ち着ける間もなく手は勝手に動いていた。
やや重いスライド式ドアを開けると、瑞々しい大気の風が一気に前面へ吹き付けられる。
「おお…! ここが……!」
これが、天守か!
なんて豪華な回廊なのだろう。
なんて爽快な眺めなんだろう!
マスクのせいでやや火照った顔を、心地よい風が撫でてくれる。
目の前の空を、例の烏たちが痛快にかっ切っていった。
大阪の街…やっぱ凄いな。
という想いもあったが、なにぶん、今まで天守が再現されていても金に糸目をつけて上らなかったり、城跡の天守台跡に立って「わぁ…!」とか言っていただけである。
もちろん子供のころ鶴ヶ城に上ったことなどはあったが、”この旅で初めて上った城“からの眺め。という事実が、感慨深い想いを湧き上がらせた。
が、それに浸る余韻もなく。何故だかまた小学生の旅行生たちが展望台に押し寄せてきた。
“ほんと、なんて俺っていつもこんなんかなぁ…”
苦笑しつつ、城を下りる。
その後は姫路でもそうしたように天守下の豊國神社へお参りし、また3時間ほどかけて十三へ戻るのであった。
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「あ~~~~また昼飯食いそびれた!」
朝9時ごろ出たのに、もう18時だ。
本町通りはカフェばかりで、そそられる飲食店は少ない。
そんな中訪れたのは、やはり…
た こ 焼 き 屋さんであった。新梅田商店街の、『はなだこ』さん!
疲れ切ってショルダーベルトの重みでもう肩は上がらないほどだったが、懸命に一口食べるとあら不思議。自然と腕を動かす気力が湧き上がる、絶品たこ焼きなのであった…。