先輩
11月28日
私のバッグパックの奥底には、ちょっとした凶器が入っている。
「警察に捕まった時も、これだけは譲れなかったな…。」
これは、私の恩人がくれた一品なのだ。
…という割には、福島で魚を切ったのぐらいにしか使ってないが。
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“いつか僕も日本一周をしたいんですけど、なんだか不安に思っちゃうところが多くて…。
変ですよね。旅人って、もっと向こう見ずな人種なのに。僕、向いてないんでしょうか。”
“いや、慎重なぐらいでちょうどいいよ。向こう見ずな奴は絶対にどっかで失敗するから。そんぐらいでいい。大丈夫だよ。
ああそうだ、そういうことなら、これあげるよ…――”
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正午。
道志みちで語らったあの日から、もう3年か。
ロケットⅢにもたれかかり、待ち人を待つ。
今日は少し、寒い。日向じゃなければ、体がブルブルと生理反応を起こしがちだ。
ラインの連絡が寄越されたのを確認し、周囲を見渡す。
マスク越しでも認識できる、見知った人物がロードバイクに乗ってやってきた。
向こうも、こちらをすぐに確認してくれたようで、”久しぶり”と手を差し出してくれる。
「ご無沙汰しております…!」
この方のお名前は、片岡さん。
私が雑誌編集部に居たころ、よく面倒を見てくれ、いろいろと教えてくれた先輩だ。
カメラの圧縮効果だとかの撮影技術や、アスファルトより土を歩けといった旅の知識まで。今日までの、生きながらえる手段を教えてくれた一人。
私が辞めるより前に退社してしまい、今は岡山で暮らしているのだが。
「このブラックバード、20万で買えたんだけどな~。」
と、中古のメガスポーツに火をくべるメカ知識の強さも、相変わらずのようだ。
近くで昼食を一緒に摂る。
「神崎鼻でカメラを落っことしちゃったんですよ」「宗谷岬でテント張ったんですけど…。」「沖縄は1日で一周したりして」などなどと話せば、
「あ、最西端ってそんな名前だったね」「あそこメッチャ風強かったでしょ」「1日でもイケたでしょ?」などなどと返してくれる。
さすが、日本中を旅した人。
面白いほどかみ合う会話内容に、思わず心が躍ってしまう。
久々に腰を据えて人と話せているのもあるだろう。だがそれ以上に、旅人と、言わずともわかる同類と話せているというこの時間が、とてつもなく幸福に感じられた。
数日間の旅の疲れが、自然とほぐされていく。孤独を気取っているようでも、やはり私は人と話したい人間なのか。
せっかく同じライダーと会えたので、彼のススメで瀬戸内市は牛窓地区へ向かう。
いつもののんびり巡行より遥かに早い片岡さんのXRを、ロケットⅢに鞭を入れて追う。
“四国のライダーは上手い”。徳島生まれの彼もまた、その例には漏れないようだ。いつもなら30~40km/hぐらいで上る斜面を、スッススッスとXRはその身を切り返して上っていく。
ついていくのがやっとである。
「ここが日本のエーゲ海って言われてるんだけど…。」
“ちょっとこじつけだよね”と苦笑する片岡さんだが、牛窓オリーブ園展望台からの景色は絶景である。
瀬戸内海を手前に、小豆島が横たわっている姿がありありと。これは、グーグルマップでは見つけられなかっただろう光景だ。
すかさず構える私のEOS M6に、興味津々の片岡さん。”最近マイカメラを用意しようと思ってるんだけど、ミラーレスってどうなのか気になるだ”とかなんだとか。
一眼より箔はつかないですけど、設定も充実してますし小回りも利いて便利ですよと答える。
小回りが利く…とは、取材に際しての話だ。同じ職種の者同士、意図しなくても話が通じ合う。
繰り返しになるが、ああやはり。この感覚は心地が良い。
軽く道の駅を回った後、また幹線道路を駆けて一旦帰宅する。
“不思議なもんだな。”
バイクの体格自体は天と地の差なのに、夕陽に向かう先輩の姿は妙に大きく見える。
季節外れの雲を眺めながら、経験の偉大さ…というものを感じていた。
その後、福岡駅方面へバスで移動。
大衆居酒屋でお勧めを何品かいただきながら、何日ぶりかの飲酒。乾杯。
シメに私が神奈川で好きだったラーメン屋に似たお店を紹介してもらい、これまた何日ぶりかに腹を膨らませて帰路についた。
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近くの銭湯でひとっ風呂浴び、片岡さん宅で夜喋り。
話そうと意識しなくても、自然と互いに会話を紡いでいく。
先ほどに引き続き今まで旅した日本各地の話、前職の職場仲間たちの今、今後について…などなど。
「正直今は、旅がもうすぐで終わる寂しさも去ることながら…。”家に帰れる”っていう、安堵感も感じているんですよね。
…旅人として、どうなのかとは思いますが。もちろん、また旅に出たいとは思います。でも僕の知っている偉大な旅人たちは、家に帰ったら”さぁすぐ次だ”ってぐらい旅好きなのに…。」
「うーん。多分、木村君の今の旅は、レベルが高すぎるんじゃないかな。
あの人らはあの人らで、ほどほどのレベルの旅をやり遂げて、小休憩してまたほどほどの旅を…っていうスパンができてるんだと思う。
だからそう自分を卑下しなくていいんじゃないかな。」
ここ数日の、”自分が甘えてるんじゃないか”という全否定の思考が、肯定の言葉でやんわりとほぐされていく。
話の中で出たついで話のような内容だが、片岡さんの言葉はひどく胸に痛み入る。
「それに、今の木村君と同年代の人らから見れば、それこそ”なんつーすげー人なんだ”って見られてると思うよ。その身とバイクで長旅に出て、仕事しながらそれを継続して。その覚悟というか、決意というか。エラいもんだと思うけどな。」
「そう…なんですかね……。」
酔いが残っているから…ではないだろうな、照れ隠しで、そんな答えしか返せない。
この人はいつもそうだ。こうして他人を認めてくれる言葉を、自然と投げかけてくれる。
久々に会う身内だから。そんな理由で投げかけられたお世辞だなんて思えないほど、ぎくしゃくせず、ごくごく自然に。
今の私にとっては、それこそが明日を生きる糧だったのかもしれない。その晩は、よく眠れた。
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11月29日
片岡さんの工具と腕を貸していただき、切れていた電源のヒューズを取り替える。
大容量モバイルバッテリーもUSBから充電できるものに買い替えたし、もうこれでヒューズが切れることはないだろう。
その後は、またお互いに相棒に跨って吉備方面へツーリングに向かう。
楽しいひと時だ、1日ぐらい岡山に長く居たって、構わないだろう。
だがそう、わかっていた。
鼻ぐり山で普段いただいているお肉の有難みを実感し、
吉備津中央町で片岡さんイチオシの蕎麦をおごっていただき。
岡山県中央標で記念写真を撮っていただいたら、あとはもう、山道を戻るだけ。
下り坂から見えた市街地は、うっすら橙色に染まり始めていた。
そう、楽しいひと時というのは、あっという間なのだ。
片岡さん宅でかつて一緒に作っていた雑誌を読み返し、暫く経って。
「…日もだいぶ傾いてきましたし、そろそろ…行きますかね。」
意識して口に力を入れないと、閉口したままだったかもしれない。
「うん。ほんとよく来てくれた。」
ロケットⅢにパッキングをし、取りまわして駐車場の出口にヘッドライトを向ける。
「サマになってるわぁ。」
「そ、そうでしょうか。」
ヘルメットに付けられたGoProのトノサマウントに、和装、そしてロケットⅢ。かなり珍妙な光景だろうと気にしていただけに、ちょっと嬉しい。
「じゃあ、行って参ります!」
「お気をつけて!」
お互いに深々と頭を下げ、先輩の顔に背を向けた。
…頭なんか下げるの、私だけでいいのに。
夕暮れに染まる岡山市から、出ていく。
もう、先輩の背中は視界にはない。
この旅を始めてからずうっと、人と別れた直後はしみったれた気持ちが胸にのしかかってきたものだが。不思議と今回は、どこか清々しかった。
きっとそれは、勇気をもらえたから、というのもあるだろうし。
「仰る通り、強くなれたのかもしれません、俺…。」
別れで俯かず、前を向けるようになった自分の成長を実感した、ということの顕れでもあったのかもしれない。