追憶⑨
「こんな辞め方したら、嫌われるだろうなぁ…。」
そりゃあ、仲が悪かった人もいたが、大分は円満にやっていたし、お世話になった方もいた。
だけど、そういった恩や義理、人情といったものが、私のやりたいこと―…月並みに言えば、夢を成就させるのに役立つかといえば、答えは明白だった。
だから、できうる限り利用させて辞めさせてもらったのだ。
「“そして私は怪獣になった”、か…。」
鬼束ちひろの『嵐ヶ丘』が、頭の中で流れていた記憶がある。
自分の目標のためなら。夢のためなら。どこまでだって貪欲になれる。
誰に嫌われようと、醜いと罵られようと、自分にだけは嫌われたくない。使える手段は全部つぎこんで、自分だけは納得してくれる生き方をしたい。
―ああ、姐さん。俺、やっと持てた気がします。
これが俺の芯です、どんな逆境でも縋り信じ抜ける、俺の矜持です。
~~
「仕事辞めました。」
スナックの面々は、「お~」とか「ほー」とかいった声は出すものの、大げさに驚かないでくれる。非難されるなんて、もっての外だった。
「…やっぱ、無謀ですかね。」
自嘲しつつ目線を下げると、姐さんがすかさず肯定してくれる。
「いや、良いと思うよ。
…最近はさ、夢とかやりたいこととか、持たない子って多いじゃん。とりあえず生きていけるぶんお金稼いで、家族作って、幸せに暮らして……、いや、それを否定するわけじゃないけどね?」
少し目線を逡巡させながら、次いで彼女は語る。
「しょうがないとは思うけどね。だって今は、昔ほど裕福だったわけじゃないしさ。政治だって全幅の信頼をおけるわけじゃないし、もしかしたら戦争が起きるなんて話も合って…。
ねぇ、お母さんの時代はどうだった? バブル時代とか、やっぱり夢持つ若者が多かったワケ?」
「んん? さー知らねーよ。とにかくみんな遊んでたんじゃねーかぁ~?」
聞いて損した、とばかりに姐さんは一瞬顔をしかめた後、こちらを向いて
「そんな中、夢を持てるっていうのは、やりたいことがあるっていうのは、いいことだと思う。がんばってみなよ。」
と言ってくれた。小難しい言い回しも何もない、シンプルな言葉の短い羅列でも、やっぱり他人に肯定してもらえるのは嬉しかった。
だがただ励ますだけで終わらないのが姐さんである。
「…んでもさ、夢を追いかけた子って、みんながみんな叶うわけじゃないじゃん。努力が報われない結果も当然あるわけで。
そういうとき、ポッキリと折れないでほしいよね。そこでまた別の道を切り開く、ガッツというか、処世術というかさ……。いやゴメン、アンタがそうだっていう訳じゃないんだけど、そういう心構えも、必要なのかなぁ……って。」
仰る通りだ。
夢を抱いただけでそれが叶うんだったら、誰だって夢を持つ。努力が必ず報われるというなら、誰だって前に進める。
そんな保証がないからこそ、人は諦めるのだ。無駄な徒労に終わるかもしれない。その先に何もないかもしれない、何も得られないかもしれない…と、舗装されていない道を進むのを早々に諦めてしまう。
だから、だからこそだ。
我ながら気恥ずかしいので目線は合わせられなかったが、自分の想いを口に出してみる。
「たしかに……。そうです。正直、ツラい世の中です。俺だって、必ず成功できるって思ってるわけじゃありません。むしろ不安です。
でもだからこそ、だからこそ前例ってやつを作ってやりたいんです。
俺は勉強ができません。運動神経が良いわけでも、特別な才能があるわけでもありません。でも、そんな俺でも、大きな旅ができたんだぞ、って言ってやりたいんです。
ツラくてツラくて苦しい時でも、”あの木村でもやれたんだから”って思い出せる、後輩たちの希望になりたいんです…!」
……恥ずかしっ…。
「…スミマセン、日本一周したところで、”だからなんなんだ”って話なんですけどね……。」
慌てて笑ってごまかす私を、姐さんたちも笑って眺めている。
だがその笑顔に嘲笑の色はなく、どこか……そう、成長した子どもを、見守るような暖かさが垣間見れた。
~~
「あ~~~~~~…、そんなことを想ってたんだっけなぁ。」
足摺岬から、今度は東回りで四万十へ向かう途中。
聞いていたとおり鰹節の香りに涎を垂らしながら太平洋を見ていると、そんなことを思い出した。
日本の未来を憂いた、維新の英雄たちの名を見たからだろうか。
…でも多分、これが旅に出た最たる理由なのかもなぁ。
千葉で馬に乗っていた、阿部さんの「なんで」って質問に。今なら答えられそうな気がする。
後輩たちに勇気をあげたいから。
人はいつか死ぬものだ。だがその短い生の中で、何かを知り、何かを作り、それを次に託すことができる。
俺にできることはなんだろう。って考えたら、とりあえずこうすることぐらいしか考えつかなかった。こうして駄文を連ね、少しでも世界の広さを、示してやることぐらいだった。
世紀の大発明はできなくても、世界平和に貢献はできなくても。宇宙の果ては見れなくても。
俺は、狭い世界で縮こまって泣き出しそうな顔してる奴らに、この世界の広さを教えてやりたい。
「…だからまずは、知らねばならない。」
知って、作って、伝える。その第一歩。
それすら、私はまだ半端なままなのだ。
自然の道は、体力を育んでくれること。先人の残した文化は、生き抜く技を教えてくれること。人との出逢いは、前へと進む原動力となってくれること。
それら全ては、旅を通して得られること。
それを伝えたい。もっと伝えたい。伝えたいから、もっと知りたい。
「…走ろう」
ずっと解けなかった宿題が解けた時のような、晴れやかな気持ちで。
私とロケットⅢは、日が照らす地平線をぐんぐんと翔け上がっていった。