日本最細長の半島
夕暮れ時。
ひととおり陸風が吹き切り、一帯の気温差がなくなると風は1日の仕事を終える。
代わりに辺りにはキンとした寒気が張り詰め、どこかの犬の遠吠えやわけのわからん鳥の鳴き声が響き始める。
…孤独だ。
私は、どちらかといえば寒さには強い方である。だがそれでも、苦手なことに変わりはなかった。
寒さの本当の恐いところは、体が震えることではなく、より孤独感を味わわせてくるところである。
本能なのか、皮膚が冷気に包まれると体は人肌を欲し始め、それはどうやったって、少なくともこの状況では得られないものであるから、それを思い知ってより寒さを感じる。
この悪循環は苦手だ。
思えば一人暮らしをしていた時も、いつもこの寝る前の、布団の中で丸くなる時間が苦手だった。あのときばかりは、
“心細い。旅に出たら、もっと心細くなるんだろうな。だったら、旅に出るのはちょっと、恐いな…。”
と毎晩思っていたほどだ。
もっともいざ旅に出てみた今となっては、そんな心境にも慣れてきたものだが。むしろ、
今は密閉された部屋にいたあの時と違って、星が瞬く夜空の下にいる。それらが眺められるだけで、むしろあの時よりもマシだと思えるときさえあるのだ。
人は寒さを感じると、人肌のほかにも光を求めるという。冬にイルミネーションが流行るのも、そのためなんだとか。
11月12日
数時間寝れば、その光が否応なしに世界を照らす。
寂しすぎたのか、昨晩は小学生時によく話しながら帰った友人の夢を見てしまった。しっかりしろ俺。
今日は、四国最西端の佐田岬へ向かう。
このほそなが~い半島の先にある岬だ。なんでもこの半島は、日本一細長いのだという。
半島好きとしては行かないわけにはいかない。
ミカン畑が広がる山肌を抜け、国道197『佐田岬メロディーライン』へ合流した。
岩壁につんのめるほどではないが、さすが細長半島というだけあって道中は絶好のシービューを楽しめる。
ちなみにメロディーラインの名の由来は、走ると音が鳴る例の道路が複数個所存在するからである。耳を澄まして”海は広いな…”と民謡を聴こうとしたが、風の音と我がバイクの音でまったく聞こえなかった。
ちなみにここ、伊方町大久は、かの有名な中村修二博士の出身地らしい。
1993年に製品化させた青色発光ダイオードは、それこそ今の時期は世界中のイルミネーションで活躍していることだろう。
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1時間ほど走り、三崎港に到着。
実際はここから大分は佐賀関までの航路として国道197は続いているが、今日の私にとっては実質ここで終点だろう。
県道256へ分岐する。ここからが本番だ。
おそらく今までの岬で、一番難所なんじゃないだろうか。
道幅は狭く、断崖絶壁、急カーブの箇所が多くある。ところどころ直線路もあるのだが、4速まで上げる勇気は持てなかった。
そのくせ中途半端に民家のようなものはあるようで、例の如くミカン畑も丁寧にこしらえられている。こんなところでしかミカン作れないのか。
本当に、人ってのは色んなとこに住みつくもんだな…。
感心というかあきれるというか、嘆息を吐きそうになりつつ走り続ると、道の終点が見えてきた。
佐田岬、到着。
おお、大分の佐賀関が見える見える。
勘違いしやすいが、鹿児島の本土最南端は佐”多”岬で、こちらは佐”田”岬。あちらと同じようにこちらも突端と灯台が見えることから、ほんとうに間違えやすい両者だ。
ただ、こちらの遊歩道は灯台まで行けるようす。
「1.8㎞か…。」
ちと長くなりそうだな、と気後れしつつも、足は前へと進んでいた。
妙にひん曲がった木々が頭上を覆い、道端には何に使うのかカゴが散乱しているちょっと奇妙な道。
舗装路は下り坂を続けていき、やがてつづら折りの形状を描き始める。
なるほど。ここで折り返して、今度はあちらの山を上るわけか。
波はやや強め。入江の辺りはエメラルドブルーになっており、綺麗なもんである。
岩壁には健気に黄色い花たちが自生しており、険しくも優しげな、不思議な雰囲気を醸し出していた。
さて上り坂。
キッツイ…。久々の山登りで、体がなまっているんだろうか。正直、岬の遊歩道だからと油断していた。
道は平坦になることを知らず、アンダーウエアが汗でひんやりし始めるのを肌で感じ始めた。
道中にあった移動式探照灯格納庫跡。
探照灯とは、いわゆるサーチライトのことである。
レーダーが実用化される以前は索敵用として第一線で活躍し、対空砲の照準用として、夜間爆撃の妨害用としても使われた。つまりは戦跡ってことである。
灯台へ向かう前に、椿山展望台で一帯を観察。
左のが佐多岬展望台、その奥に九州、右の崖に見えるのは御籠島展望所である。今回はあっちまで行く体力はない。
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12時ちょうど。遊歩道突入から30分後、無事灯台に到着する。
真っ白な造形が美しい。
この灯台は1918年に点灯され、以来、瀬戸内海と豊後水道を結ぶ速吸瀬戸の航行船を見守ってきた重要な道標だ。
ここから、容易に大分の地を望むことができる。
「うおーーめっちゃ近いじゃん…。」
ひと際手前に見えるのが恐らく高島、そのすぐ奥に大分県がある。
ついこの間まで、あそこに居たんだけどなぁ……。
海を隔てていると、どんなに近く見えても、どうしたって遠くの場所に思えてしまう。
”もう暫くはそっちに帰れないんだよ、九州…。”
思えば旅を始める前は、大分から愛媛までフェリーで行こうとか考えてたなぁ。
結局距離に対して料金が見合ってないからと止めたけど。ここを渡るのは、それはそれで面白かったかもしれない。
あーーまた昼飯食べ損ねた、八幡浜まで帰ってなんか食うかなぁ…!
正直、ここまでの徒歩路とあの狭い岬線を引き返すと思うと、今度こそ嘆息が漏れてしまったが。
ぐっっと一つ背伸びをし、九州に背を向ける。”まぁ、帰りは早く感じるものさ”
まるで青色LEDの如く光る海に和みながら、またダラダラと3速バイクは山肌を縫うのだった。