広島
11月5日
バイパスを通り、一気に広島市街へゆく。
防音壁を擁する高速道路の如きバイパスは、そこそこ渋滞している。
道路の終わりで見えたビル群と相まって、広島の発展具合がすぐに把握できた。
原爆ドームに寄りつつ、国道54を北上。…ここも絶賛補修中だった……。
かねてより予約を入れていた、トライアンフ広島を訪れた。走行距離は、オイル交換を予定した数値より500㎞近くオーバー。ギリギリだ。
“アイドリングの不調が直れば”とプラグとエアクリーナーの交換も申し込んでおいたのだが、
「うーんこれは…、プラグは、東京さんでやってもらった方がいいと思います。」
実は隠していたが、長崎あたりからオイル漏れしていたエンジンを指摘された。
滴ってもいないし、”まぁ、滲んでるだけだろう”と思いこんでいたが。やはりパッキンが外れかかっていたようである。それを旅終わりの東京で直してもらう際に、プラグも交換した方がいいとの判断だった。
幸い、漏れた状態で1ヶ月近く走ってもオイルの流出は微々たるものだったので、旅続行の許可は下りる。応急手当として液体粘土を貼り付けていただき、”これから漏れが酷くなると思うので、ちょくちょくオイル残量は確認しながら走ってください”とのアドバイスもいただく。
プラグとエアクリは2万㎞程度なら大丈夫とのこと。
…まぁ不安は残る結果となったが、それでも旅が続けられるのでヨシとしよう。破損した電源もそうだが、”致命的”なダメージを受けていないだけでもマシと思うようにした。
このうえ完璧を求めるなんて、贅沢ってもんだろう……そう思い込めば、心も若干休まる。
「でも、ロケットⅢで日本一周してる人なんて初めて見ましたよ。多分日本で初めてだと思いますよ。」
そんな嬉しいお言葉をいただき、店を後にする。
~~
広島城を拝みつつ、来た道を戻って平和公園近くの駐車場へロケットⅢを停車。
さて昼だ。
珍しく今日食べるものは決まっている。
そう、お好み焼きである! 粉ものって別に好きではなかったんだが、昨日食べたお好み焼きに好きにさせられてしまった。
ここ『お好み村』は、いくつものお好み焼き屋が入っている高層ビル。いわば北海道にあったラーメン横丁のようなものだ。
中では3フロアーに渡って鉄板を抱えた暖簾がひしめいており、魚介やハンバーグなど特色を持った店もあるようだが、私のような無知者にとってはどれがどんなものだかわからない。とりあえず手軽そうな値段の『さらしな』のカウンターへ座ってみた。
1,070円のお好み焼きスペシャルを注文すると、すぐさま液体の生地がテッパンにとろりと落とされ、それが手早く真ん丸に成型される。みるみるうちにそれは厚みを帯びていき、ふんわりとした小麦生地へ。
その隣でそばが炒められ、キャベツが散らされ、肉が焼かれ卵が焼かれ……。息をするように慣れたコテ捌きでそれらが重ねられては上から押しつぶされ、重ねられては押しつぶされ以下略
出ましたぁ~~~! 広島風お好み焼き!
さっそく、コテで切り分けられたひとコマを口に入れてみる。
「~~~~~~っ!」
旨い! 厳島のもそうだが、なんでこうパッサパッサしてないんだろう。もっちもっちしていて、それでいてキャベツはシャリシャリで肉はシャクシャクだから、歯ごたえに飽きない。
「おいしいっすねぇ!」と思わず口にだすと、「どうも…っ」と店員にやや引かれてしまった。
ひとコマ食べただけで、悶絶してしまう。誇張じゃないのだ。お好み焼きって、パッと見薄くて食べ甲斐がなさそうだが、それは偽りの姿。たったのひとコマでも、けっこうな厚さなのである。圧縮版ハンバーガーとでも言おうか。
海苔! 小麦! 蕎麦! 肉! 卵! キャベツ! それらの層が超圧縮されていて、それぞれがそれぞれの主張をぶつけあって口の中が戦国無双状態になる。
至福だぁ…!
~~
「堪能した。」
御馳走様を言ってビルを出る。
ビルの入り口には、吉田正三郎なるおじさんの胸像が置いてあった。
なんでも、戦後廃墟となった広島で広島風お好み焼きを焼き始め、以来お好み焼き一筋の人生を歩み、国内はもちろんハワイやドイツなど海外にもその名を知らしめた人物なのだそうだ。ありがたや…!
広島”風”っていうのは、広島のものに”似せた”って意味ではなくて広島”の”って意味だったんだね。
そんなことを腑に落としながら、まだ時間が余っているので西へ。
~~
それにしてもよく整備された街である。
路面電車も通っているのだが、鹿児島ほど狭さを感じなく、広げるところは広げ、狭めるところは狭めるゆとりの街づくり。じつに歩きやすい。
「やっぱここまで来たら、行っとかないとな。」
人類史上初めて投下された原子爆弾が炸裂した、広島市中島地区。今は周知のとおりこうして平和記念公園になっているが、かつては八つの町があったそうだ。
やはり歴史的に、日本的に重要な場所だからか、辺りには遠足の小学生や修学旅行の高校生が見られる。
「退屈なのかな、それとも案外、興味を示してくれているのかな。」
今は、何もわからなくてもいい。ただすくすくと、成長さえしてくれれば。
それこそがきっと、亡くなった人たちも求めていることだから。だから、大人になって、ふと彼らを偲んでくれれば、それでいいと思う。
「核なんかいらない世界になりますように。」
青海島、長崎、八重岳…見てきたいくつかの戦跡が頭をよぎる。
もうあんな場所は、増やしたくない。