岩国
防府の道の駅 潮彩市場で海の幸を味わったりして、雨の日を凌いで熟睡。
11月3日
テントを出ると「よく眠れましたか?」との声が。
いつもより遅く起きたとはいえ、今日は祝日でまだ7時の筈だ。妙に人が集まってきている。
どうやら隣の公園が開園される日だったらしく、小さいながらもオープニングセレモニーが開催されるようだった。なんでも、ベンチがかまどに、東屋がテントになったりする、災害時に役立つ『メバル公園』らしい。へー。
子供たちが集う場に、バカデカいバイクと侍は不釣り合いだ。とっとと劈掛拳の練習を済ませ、その場を後にする。
本日の目的地は、広島との県境近い岩国。おびただしい数の工場を擁する新南陽を横目に、国道2号を東へ。
昼ご飯は、かねてより母が「テレビでやってた」と進言してくれた『いろり山賊』の山賊焼きを頂く。運悪く休日でけっこう並んだので、ちょっと贅沢して山女の塩焼きも。
タレにたっぷりと浸された肉を、棒を握ってあんぐりと頂くのはたしかに爽快で美味い。
…実際は半分ほどは骨で食べられないっていうのは、言っちゃ不粋なんだろうな…。
食事は屋外の席でも食べることができ、こたつに入りながら紅葉を眺められる席もあった。
“お一人様でしたら、よろしければ別の席ですと…”と言われたが拒否しておいた。同じ時間並んで同じ料金を払っているのに、こたつに入れないなんてのは差別だ。
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いろり山賊から少し走れば、本日の目的地・岩国の錦帯橋がその姿を現す。
小倉のガンダムバーで勧められたから来てみたが、たしかに立派なもんだ…。
岩を積み上げた土台に、木造のアーチ。青森の鶴の舞橋とは、また違った暖かみがある。
特長的なアーチ形状は、錦川の洪水によって流されないよう、試行錯誤した結果生み出されたものなのだそう。第三代岩国藩主・吉川広嘉によって建てられたのは1673年のことだが、その建築技術は現代にも通ずるのだそうだ。
現在の橋は昭和にキジア台風によって流され建て直されたものを、平成にまた架け替えたものである。
どれ、まだ日は高いし、渡って対岸へ…。
って金とんのかい!
しかも310円て。けっこうするね~~。
そういえば以前ここをバイクが走り抜けていった事件があったが、なるほど彼は無賃通行でもあったわけである。
山の上の岩国城まで行く気はしないし(最近、城に惹かれない)、白ヘビの館も有料。適当にぶらついて野宿場所でも探すかなぁ…。
一応興味を惹かれたのは、ここ岩国はあの佐々木小次郎の出生地であったということである。このように石像もちゃんとあるのだが、これ、巌流島のママだよな…。
なんか、対になる彼がいないと寂しいね。
彼はこの河川敷で柳や燕を相手に鍛錬を積み、言わずと知れた必殺の剣、虎狩り―またの名を燕返しを編み出したのだという。
思わず石像の前で、左手を順手に右手を逆手に。八相の位置へ架空の刀を掲げ、ババッと虎狩りの真似をしてしまう。
小藩でありながら、大藩の大名行列の槍も倒させたという岩国藩士。その負けず嫌いな強い意地を、少しばかり分けてもらった気がした。