温泉の国へ
10月24日
良い海だ。
波は相変わらず高いが、そのぶん漣の音がよく聞こえる。
もう大分との県境も近い延岡まで来てしまったこともあり、この町外れの海浜公園で、1日ぼうっとしていることにした。
散歩していたおじいさんによると、この向こうにはちょうどハワイがあるらしい。
言われて気づいた。先日まで“宮崎の海”…だなんて言ってしまっていたが、
“太平洋…だったんだよな。”
すごく今更気づいた。
福島、神奈川と暮らした私にとって、馴染みの深い海。
ホッとしていられるような、懐かしい感じはそのためだったのか。
日本海の静かな水面や、沖縄の透き通る海水を見てしまって。“太平洋なんて…”と思った日もあったが。なかなか見ていられて、不思議と安堵する。
「ただいま、太平洋」
一際大きな波が、どどぉ、と音を立てて返してくれた気がした。
10月25日
…流石に寒いな。
寝袋から出るのに、躊躇いを覚えてくる。
覚醒してからすぐに起きず、しっかりと体に熱を送ってから……よし、出よう。
テント内で荷物をまとめていると、外から「スゴーイメッチャキレイ!」という若年女性の声が。
時刻は6時半頃。朝陽がキレイな時間だろう。
海越しの朝陽は今までも見たことがあるから、別に急いで拝む必要もあるまい。
声に釣られずしっかりといつも通りの準備をして、テントを出てみる。と
「すっげぇ……」
冷え切った海面が、朝陽に照らされて波の間に蒸気を上げている。
それがゆらゆらと水と共に揺れて………、ある意味”雲海”ってやつ?
「まだまだ、こんな顔を隠してたんだな。」
寒季の出だしは、なかなか上々なようである。
冬用グローブをはめ、大分へ。
北川、小川、鐙川沿いに谷を進む10号。日の角度がまだ浅いこともあり、日陰が多く身を切る寒さに鼻水と尿意がだだ漏れになる。私は…、男でよかった………。
日曜とはいえ流石にバイカーどころか車も走っておらず、ときたま出くわすスポーツカーを見送りながら峠を進む。
直川町に入ったあたりで、ようやく日向の面積が増え。海も近い佐伯市街に入れば、体の震えも収まってきた。
“いなかー”って感じの大分の海に出れば、もうポカポカと暖かいぐらいだ。ヤバイ、もう山に行きたくなくなってきたかも…。
気付けば、ロケットⅢから取り出している電源が二口死んでいて、凹む。寒さ恐るべし…。
国道は再び山側に入り込むが、先ほどまでの寒さはない。
それにしてもなんだろうか、このほのぼのする山道は…。懐かしいような、このまま行けば親しんだ家へ帰れるような……そんな特長のない道。
“大分はまぁ温泉に入ればいいっすよ!”
なんて話した人たちは言っていたが、たしかにこう走ってみてもめぼしい物がない。
臼杵の磨崖仏は拝観料取られるし、千葉の佐倉でレプリカを観たしな…。
亀塚の前方後円墳は、そんなに興味ない……。
イルカ…は、ついこの間見たし……。
大分市街…。大分府内城跡……。城を見たい気分でもないんだよなぁ……。
見送りながら走り続けていれば、いよいよ温泉の名地・別府の看板が現れ始めてしまう。
10号の海沿いに走り続ければ、やがてその姿も見えて来た。
「おお、あれが別府か。」
海沿いに建つビル群が、なんだか熱海みたいでワクワクさせてくれる。もう、あそこまで行っちゃおう。………野宿場所も見つからんし。
大分もまぁ街だったけど、別府はもっとコチャコチャしてる。温泉街だし、ちょっと時間かけて見てみたい。
…というわけで。
ゲストハウスめいた温泉宿『はまゆう凪』に、予定より一泊早くお世話になることにする。
一泊約700円とバカ安だがドミトリー。普段なら”気が休まらない”とこういった場所は利用しないのだが、今日一泊だけ。たまには他の旅人と交流を図るのもいい。
「4泊ですが、急なので今日だけ相部屋でいいですよ。」
「あー…でも、今日は他にお客さんいらっしゃらないので。そのままシングルに入っていただいてだいじょぶですよ。」
そう…ですか……。
さて。温泉パンフレットを渡されたのはいいが、日曜で人が多そうだし今日はいいだろう。
そうだ、前の職場仲間に教えていただいた友永パンは……、日曜休みか。
日暮れ前に、ちょっとだけ散歩するに留めよう。
良い味の路地裏が並ぶ街並みだ。
“アサヒビール”の文字がアツい別府タワーを目指してみる。けっこう古ぼけてそうだ…。
付近にはいくつか宿があるが、どれも新しいとはいえない。コロナ禍か、つい最近自己破産してしまった場所も見受けられた。
案の定といった感じだが。金を取られるようなので、やめておく。
仕方がないので、堤防の方へ歩いてみた。
おー、北は杵築の方まで町は続いてるんだねー。
視線を右へ。
こう見ると大分市は工業の街だったのかな?
やや後ろを見る。
遠目に見たビル群は、宿群だったようである。奥のとんがってんのは高崎山ってやつかな。
考えるに、県庁があるのこそ大分だが、観光の拠点は別府なのかもしれない。すぐ隣だし。
とするとやっぱ温泉の国なんすねぇ…。
この時期になると、夜が早くて困る。
明日は湯布院か、地獄めぐりか…。考えながら、宿の大浴場に浸かった。
「…と、これも源泉かけ流しって言ってたな………。」
どうやらもう、温泉国の洗礼は始まっているようだった。