姿なき語り部
10月14日
まだ11時前。休みにはまだ早いな…。
何しよう。美ら海水族館はたけーし。
“戦跡は見に行った?”
そういえば昨晩電話をくれた恩師が、そんなことを言っていたっけなぁ。
試しに、グーグルマップで「戦跡 沖縄」と検索してみる。
するとけっこうヒットした。まぁ激戦地だったものな…。
そのなかの手近なものと一つ選び、向かってみることに。山道だが…、大丈夫だろ。
本部の内陸側へ進み、八重岳の登山道へ入る。
ほー、流石に沖縄の山道はジャングルですねぇ…。
道の脇では幾匹もの蝶が舞い、頭上からは甲高い鳥の鳴き声がひっきりなしに聞こえる。
「警笛鳴らせ」の標識に従いながら、傾斜の激しいコーナーをクリアしていく。路面が案外綺麗に舗装されていて、よかった。
さっきから脇に立っているこれらは、八重岳っていうぐらいだからヤエザクラの一種なのだろうか。
こいつらって葉桜になんないんだっけ? なんでこんなに暑いのに素っ裸なんだ? 不気味。
ある程度上れば、風景はやんばるで見たときと同じようなジャングルだ。
上り続け、目的地が近くなった辺りでロケットⅢを平地に置き、徒歩で進む。
眼前にそびえたつのが山頂か。衣たる木々は南国よろしく蔓を伸ばしまくっており、おどろおどろしさを醸し出している。
あった。
目的地の八重岳野戦病院跡である。
砂利道を進んでいく。
木々の暗がりに入ったところで、看板を発見。
看板の字は風化して読めたものではないが、ラッピングされたプリントがバンドで結わえられていた。市かなんかの人がやったのかな?
プリントによると、ここは1945年の沖縄戦の際、国頭支隊なる隊の本部壕と陸軍病院があった場所なのだそう。
隊は4月11日ごろから米軍の空爆と艦砲射撃を受け、やがては西、東から進撃する米兵隊の猛攻に遭う。同17日には八重岳北東頂上を占領され、敗走する隊への追撃・掃討戦は4月中続いたそうだ。
隊長はそれに対し、八重岳の箒を決定。その際、この野戦病院には多くの負傷者が遺棄され凄惨な事態となったそうだ。
軍の命令で山に避難させられた住民はかえって戦火に巻き込まれ、軍人町民合わせて1,753名が亡くなったとのこと。
多分ここが、その場所なんだろう。
よく見ると舗装されていた道が続いており、石垣のような段差が残っている。
奥に向かってぽっかりと口を開けた森が、なんだか妙に虚しく思えた。
プリントをめくってみると、こんな文が。
“私は町内に住む者です。2020年8月6日に、初めてこの場所を訪れました——”
要約すると、インターネットで見た情報を基にここを訪れ、訪れたはいいが看板の文字は読めないため、厚意でこのラッピングされたプリントを掛けておいたとのこと。
名も顔も知らないが…、グッジョブだ、書いてくれた人。
貴方のお陰で、私は立っている場所の所以を知ることができた。
8月に書き置きしたものだから、風化もさほどしていなかったのだろう。運が良かった。
きっと、知っておけっていう天命なんだろうな。
この山と海と空で、無数の命が散っていったということを。