風来記

侍モドキとバイクの放浪旅を綴ってます。

伝えなくちゃいけないこと

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「いや~~~~~~~~~晴れてますねぇ!」

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台風はまたもや東の方へ。

台風地方とはなんだったのかと拍子抜けするほど、九州の空は晴れていた。

風はたしかに強いが、それがかえって暗い雲を散らしてしまったようである。

風の加護を受けているのか、おちょくられているのか…。

 

「~~~~~どうすっかなぁ~~~」

よっぽど鹿児島でとっといたホテルをキャンセルしようか悩んだが、直前にならないとなんとも言えないのが天気の困ったところ。

仕方ない、予定通り鹿児島へ入ってしまおう。

家計簿などアプリケーションのデータが吹き飛んだのは痛いが、新しいiPadの設定も大方終わっている。仕方ない仕方ないさと呟きながら、国道3号を南下した。

 

 

~~

とはいえ本来であれば、今日まで熊本にはいる予定。鹿児島までの道のりで、何か見物しておきたいところであるが…。

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「なんにもねーなぁ~」

取り立てて気になるところがない。山や川は雄大で美しいが、なんだか敦賀を過ぎた福井を思い出すなぁ……。

 

 

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芦北で見かけた『御立岬』へ寄ろうとしたが、またしても工事で道は砂利砂利。来るなと言われているようだ…。

 

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瞬く間に景色は田舎風景へと変わり、鹿児島との県境も近い水俣が近づいてくる。

「水俣…水俣……水俣ねぇ…。」

ああダメだ、あんまりマイナスなことは書きたくないのだが、どうしても思い出してしまう。

 

水俣病

 

小学生か中学生かで、習った人も多いのではないだろうか。工業による甚大な健康被害をもたらした代表例、水俣病。…風土病じゃないんだから、町の名前を付けること自体間違っているんだろうが…。

ここまで脳にへばりついてしまっているのなら、むしろ見聞してやろう。

3号線から少し逸れ、『水俣病資料館』を訪れた。

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語り伝えることを目的とした場だから期待はしていたが、やはり入館は無料。いつものとおり手指消毒と住所記入、体温検査(なぜかまた低いと言われた)を済ませると、

17分ぐらいで水俣病を解説するビデオが上映されるんですが、お時間ございますか?」

と。…まぁ平日だし、私ぐらいしか来館者がいないのだろうな。

時間は有り余っているし、もちろん拝見させていただいた。

 

 

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…かつてここ、水俣湾が面する不知火海は、他の沿岸部と同じく漁業で成り立つ町であった。山々から栄養豊富な水が注ぎ、上手く北西風を遮れる地形では漁がはかどり、漁礁にも富んでいたこともあって魚をどれだけ獲っても獲り尽くせない、魚湧く海と言われたそうだ。

 

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そんな風景も移ろぎ、明治の経済成長期になると町に『日本窒素肥料株式会社』、後の『チッソ株式会社』が建設される。

化学肥料などを生成するこの工場は経済を支える大企業へと成長し、水俣の町からも会社行きさんと憧れられる多くの人がそこに働きに出かけた。

町は一気に工業都市へ発展し、コンサートや運動会なども開かれて近代化の一途を辿った。

…たしかに今日でも、水俣市へ入った途端急に町が見え始めてきたので、「おっ」と思ったものだ。

 

 

そんなチッソは昭和7年、国内でいち早くプラスチックなどの原料であるアセトアルデヒドの製造に着手する。

これが悲劇の始まりであった。

 

 

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アセトアルデヒドはその生成過程で、メチル水銀を生む。チッソはそれを工業廃水として海へ流してしまったのだ。

海に棲む魚や貝たちはそれを摂取し、未だ漁業が盛んだった水俣の人々はそれを食べる。

 

…はじめは猫が不可解な動きをしはじめ、鳥が飛べなくなり。

やがて巷では、苦痛を訴えだす人々が増え始めた。水俣病の発生だ。

だが水俣病の悲劇は、これで終わりではなかった。

 

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熊本医大などの調査もあって原因はチッソのメチル水銀と判明したのだが、チッソはそれを否定的に捉え、排水を止めようとはしなかった。製品を製造できなくなるに伴い、工場閉鎖、経済的打撃を受けることを恐れたのだ。

 

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当然、そんなチッソに対して住民は猛抗議。怨旗(おんばた)が町中に掲げられ、以前の平和な様子は見る影もなくなってしまう。

そんな昭和46年、国を巻き込む裁判が行なわれたこともあって被害者には賠償金が支払われる。昭和31年に水俣病患者が発見されてから、10年以上経っている。

そしてチッソはメチル水銀を含むヘドロを、実に30年以上も海に垂れ流し続けていた。

 

遥か昔のことのように思えてしまう事件だが、自分たちも被害を被ったと主張する第一次訴訟の補償から漏れた人々の裁判は、2004年まで続いている。

 

 

もちろん、金を払われたからといって被害者の傷が癒えるわけではない。

各種感覚の鈍化をはじめとする身体的苦痛に苛まれるのはもちろん、“感染症ではないか”との疑いから周囲の人に忌避され、差別され、働くことも結婚することも拒否され、家は日に日に貧しくなっていく…。

 

…なんだか、東日本大震災のときや今日のコロナ騒動を彷彿とさせた。

分からぬものへの恐怖、保身、対立…。生物として生きたいという本能の顕れだから仕方のないことではあるが、それに準じて人は悲しい光景を何度となく繰り返してしまう。

 

 

だが、人間はそれを悲しい光景だと感じられる生き物だ。

時に弱い者に、利益度外視で手を差し伸べられる生き物ではないか。

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私は馬鹿だった。なに暗い過去だからと通り過ぎようとしていたんだ。

仮にも筆を取る者、私みたいな者が、こういう過去を発信しなくてどうする。

人間は反省して進める生物だということを、伝えなくてどーする。

 

 

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汚染された魚たちごと、尊い命を犠牲にして埋め立てられたこの水俣湾は、現在は『エコパーク水俣』として自然を育む公園となっている。

水俣市は2011年、全国初の日本の環境首都称号を得た。

 

「大丈夫、大丈夫。後は俺らに、任せてね。」

後世への期待と自身への使命を、土に手を当てて誓った。

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