令和の築城
10月5日
国道208沿いに熊本を目指す。
「さようなら、佐賀。」
熊本を訪ねるには、わずかばかり福岡を通らねばならない。地図で見ると鳥取-島根なみに分かりにくいのだが、よーく見ると筑後川沿いに佐賀と福岡の県境線が引かれている。
それを渡り、有明海沿岸道路を通って、
一気に熊本へ!
熊本の海だ!
微かに島原の雲仙岳が見える。ほんの数日前はあそこにいたのだ。
国道501で熊本市街地へ向かう。
段々と見えて来たあの山陰が、阿蘇山だろうか? いや、小さすぎるな…。
山の正体は金峰山というらしく、なだらかな山肌には無数の農地がこさえられている。
それの脇を通り、沿岸部から内陸部へ入れば、熊本市はすぐだ。
…うん、デカすぎず小さすぎず、といった感じの街だ。
ただもちろんシンボルたるものはあって、それは日本三名城の一つに数えられる熊本城である。せっかく来たのだから、行ってみよう。
入城にはお金がかかるみたいなので、南の桜の馬場から時計回りに外周を回ることにした。
…熊本地震の傷跡が残っているとは聞いていたが、
想像以上に酷かったようである。
全長242mという長塀に、工事用の足場がズラリと組まれている。東側の約80mは倒壊し、背後の石でできた控柱も破損したそうだ。
例の如く川口さんに教えていただいたとおり、市役所最上階から眺めてみる。
あー、なるほどたしかに、パッと見さびしげな様相である。一部崩れているとはいえ残っている石垣が多いようだが、その上にあったであろう櫓類がことごとくなくなってしまっている…のだと思う。
天守はあれど、漆喰の壁のないそれはどこか安土城址のような”城址”を見ている気分だった。
加藤清正公。
7年の歳月をかけこの熊本城を作らせた張本人だ。
秀吉の重臣で、七本槍の一人で、虎退治をした人。…というぐらいしか私は知らない。
1607年、慶長の時代に完成した熊本城だが、その歴史を語るうえで欠かせない事件は明治時代の西南戦争である。
こちらの谷 千城(たてき)公は当時の熊本鎮台司令長官であり、薩軍の包囲・猛攻に対して籠城で対策。援軍が到着するまでの間、実に52日間もの戦火を耐え抜いた壮絶な死闘がこの城ではあった。
東側の熊本稲荷や熊本大神宮を参拝しつつ、北側へとぐるりと歩いていく。
周囲約5.3㎞、総面積約98ha。かなりの広さだ。道路沿いに歩けど歩けど、角の整った石垣が途絶えることはない。
しかしところどころ崩れていたり、補強されたりしている姿が痛々しい。これだけの規模の城が傷つくのは、地元住民としては悲痛な想いだろう。
加藤神社。
まさかとは思ったが、主祭神は加藤清正公その人である。”加藤清正”の昇りがいくつも上げられており、その慕われっぷりがうかがえる。
それもそのはず。加藤公は27歳で肥後に入国し50歳で亡くなるまでの間、熊本城を建て全県下にわたり土木工事を進め、干拓開墾、植林、街道づくりといったインフラ整備から貿易、治水まで幅広く肥後の発展に尽くした人なのだそう。
上には忠と義を以て、下には慈悲と情けを以てあたった彼のことを、熊本の人々は親しみをこめて”清正公(せいしょこ)さん”と呼んでいるのだとか。
…と立て札を読んでいる間にも、鳥居前で深々と二礼二拍手一礼をする人数名。彼の徳は偽りではないのだろうなぁ。
その加藤神社の境内は、現時点において天守をかなり近くで臨めるスポットとなっている。
大規模に足場が組まれながらも、毅然と城下を見下ろす大天守小天守は、傷だらけながらもなんと頼もしさを感じる姿だろう。
そしてその下の堀の立派なこと。長い、デカい、綺麗。三拍子揃った名堀である。
他にも崩れはしなかったものの、崩落の危険があるため土嚢で固められていたり、
辛うじて建っているという状態が目に見えてわかる櫓があったりと、見れば見るほどいたためれなくなる。
「うわぁ………。」
御覧の通り、未だ崩れたままの状態となっている石垣も多い。
石垣は歴史的建造物であるため、番号を振るなどして以前の姿に完璧に戻さなくてはならない。なので、普通の道路復旧などと違って膨大な時間がかかるのだ。
熊本地震が起きたのは2016年。約4年前であるが、それでも未だ敷地内には一部しか入れない状況。
じつは東日本大震災を受けた私自身、”もう何年も経ってるし…”なんて思う時はあったりするのだが、やはりいざ傷跡を目の当たりにすると、”元に戻す”ことの壮絶な難しさが、頭と体で理解できる。
…それでもやはり、人間の知恵と信仰、親愛はそんなものには負けないのだな。
歩いて見てみればたくさんのボランティアが案内をしているし、土産物売り場も賑わっている。工事現場を覗けば、作業員が手を果敢に動かしていた。
まさに、これは令和の築城だ。
時間はかかるかもしれないが、”不可能”ではないだろう、元に戻すのは。
費やした時間は、必ず熊本の歴史を後の世に繋いでくれるのだ。汗を流し声を張る彼らの姿を見て、そう確信した。