朱山
干潮時と満潮時の差、じつに6m。日が暮れると、太良の岸辺は海に隠れてしまった。
“月の引力が見える町”。その触れ込みは伊達ではない。
黒く染まった有明海に、赤みがかった月が昇ってくる。
一日遅れの十五夜を満喫し、久々にテントに潜る。ちょうど佐賀を出るときに染み付いた湿気が、まだ残っていた。
10月3日
朝歯を磨いていると、北九州から墓参りに来たおじさんに話しかけられる。
「あー食いもんならウェスト(ここら一帯にあるスーパー)が安いよ、あとファミレスの”ジョイフル”も安く十分に食えるし。
見るとっていったら…、近くに祐徳(ゆうとく)稲荷があるよ。」
「あ、そこ行ってみる予定なんです。」
川口さんにも教えていただいた、近場の見どころ。今日はそこへ行ってから、さらに川口さんの友人がいるレストランへ向かう予定だ。
長らくサボッていた劈掛拳の練習もしっかりとして、そんな中話しかけてくれた違うおじさんにしっかりとお茶をいただいたりして。
九州では助けられてばかりだと噛みしめながら、国道207の旅を再開した。
10分ほども走ると、祐徳稲荷神社の看板が見えてくる。
分岐して進むと、大鳥居と土産物屋が立ち並ぶ通路が。
開店準備をしている方に道案内してもらいながら、無料駐車場に落ち着いて振り返ると、
山肌にそびえたつ、朱い社殿が目に入ったのであった。
祐徳稲荷は、日本三大稲荷の一つ。他の二つは京都で寄ったごぞんじ伏見稲荷と、茨城の笠間稲荷である。
実は笠間稲荷へは編集部時代、単身出張に行った際に(取材終了後サボッて)参拝に行ったことがあるので、ここを訪れれば三大稲荷を制覇したことになる。
岩手の達谷窟も顔負けの岩壁に組まれた朱柱に、うねりながら続く朱塗りの階段通路。それに朱い旗も上がっていて、山が朱く染められている。
伏見稲荷は荘厳な圧倒感があったが、こちらは豪華絢爛な印象だ。
あっこれ、笠間稲荷にもあった。
8の字状に三回くぐると無病息災の徳があるという、茅の輪くぐりだ。
風鈴に願い事が結ばれている。おっしゃれ~。
本殿も豪華絢爛だ。
別に他の二つを悪く言う訳ではないが、ここまで金を目に入れられる稲荷はあっただろうか。
土地柄によるのだろうか、京都や茨城にない感動が得られる。もし東北、青森あたりにもでかい稲荷があったら、どんなふうになるのかなぁ…。
折角なので、奥の院まで足を運んでみる。
前の大雨による影響だろうか、境内は補修工事中で、石段ではなく鉄板を上るという奇妙な体験を。
山を上っていくと、段々と伏見稲荷のような寂しげな雰囲気に。
そして気付くのであった。
“ああ、そういえば伏見稲荷って、メチャクチャ階段上らされたな……”
「ここもか………。」
のんびりとした麓の景色に安心しきっていたが、奥の院までの道はけっこうな山道となっていた。
しかも伏見と違って、石段は本当に石段。平らにされていないから、足場を選ぶ。
瞬く間に汗が滴ってきて、足を手で押しながら歩を進める。
“こういう感じ、久しぶりだな…。”
汗にしみる目を閉じながら、あとどれだけこんな坂を上るのだろうか、なんて考える。
10分ほど歩いて、着いた。上。
おお…! 上ってきた甲斐があった。なかなか壮観である。
麓の民家から遠くは佐賀方面の市街地、目を凝らせば有明海に干潟まで見えるではないか。
笠間は平地、伏見は上っても景色がみづらかったからなぁ…。上りがいがあるってもんである。
奥の院にお参りをして、風鈴の音に癒されながら下山した。
~~
駐車場から出る際、赤ん坊づれのご夫婦が多いことに気付く。ちょうど隣に車を止めたご夫婦もそうだったので聞いてみると、
「お宮参りなんです。」
とのこと。
「あーなるほど、お宮参りですね…。」
お宮参り。お宮参りってどんなときにするんだっけ……。俺そういうのには疎いからなぁ……。
えぇっと、こういうときはなんて言えばいいんだ? えっと、とりあえず、
「お、おめでとうございます……?」
なんて首をかしげながら言ってしまった。
少しの間ながら旅の事を聞いてくれたり、恥ずかしながら写真を撮っていただいたりして、その場を後にする。
ちょうど、お昼時に着けるかなぁ……。
一旦佐賀市街を全スルーして東へ横断し、福岡との県境も近い神埼へ入る。農地と宅地が入り混じる道路を進むと、川口さんに教えていただいたハンバーグとプリンのお店『キッコリー』に到着した。
プリンの販売スペースにお邪魔し、「藤内さんという方は…」と尋ねると「僕です」、とスタッフの方。
川口さんへ電話をつなぎ、事情をお聞きしていただくと…。
「どうぞ、好きなもん食べてください。」
えっっマジですか!!
では、さっそく。遠慮しないモードを発動して、黒毛和牛ハンバーグセットに加え、せっかくならとここ名物の”独身ぷりん”をオーダーしてしまった。
ギャー画角ギリギリのボリュームやんけ!
ひとまず煮つけをいただいてみる。んっこの時点でおいしい…。濃厚…だが、口に運びやすい軽さ。濃厚というよりは、あっさりめの出汁がよく染みわたっているのかな。うまい。
サラダの類も洗練されていて、シャキシャキといい音を立てられる。
本命のハンバーグは…、箸で切ろうとすると、やや力が要る弾力を放つ。ちぎったそこからポロポロと肉片がこぼれてしまう、なんてことはなく。よく煉られている。しかしながら口に入れ食みはじめれば、抵抗なく生地を押しつぶせそこから肉汁がジワァっと抽出される。
私が頼んだのは和風ソースだが、それが和風にありがちなあっさりめではなく濃い口で、私好み。このややしょっぱいのを大盛無料だったご飯とともに食べると、ああ、幸せだぁ!
そしてプリンだ。
これがまたヤバイ。
ひとまずスプーン半さじほどすくって、パクリ。
表面ツルッツル。なのに中はふわっふわ。卵の生地。よく生きてる。
次はスプーンいっぱいにすくって、パクリ。
「軽っ…!」
軽すぎる。量とは裏腹の羽毛のような軽さが、舌の上で踊っている。決して中身がないとか、そういうことを言いたいのではない。フワッフワなのだ、歯の感触が心地いいのだ…!
それからカラメルをかけて、食べる。美味いに決まっている。ああ・・・・・・・・・
贅沢な時間を過ごしたのち、藤内さんに再度挨拶に伺った。
近くにあった新聞の切り抜きによると、藤内さんは元々フレンチシフェフであり、”神埼を盛り上げるために何か”と特製プリンを開発したそうだ。氏は独身であり、市内には”人妻プリン”なるものが既存していたため、それにあやかって独身ぷりんと名付けたのだそう。
「川口さんの奥さんは、元々上司だったんですよ。一緒に仕事してた仲だったんです。
木村さんは、良い人に会えたと思いますよ。」
別れ際、“検討を祈っています”とプリンを二つ、包んでいただく。
いやもう、藤内さんも良い人すぎるでしょう…!
頭を下げても下げ切れない想いである。
こんなに人に助けてもらっていいのだろうか、甘えてるんじゃないだろうか、と疑問に感じてしまうが、打算があるにせよないにせよ、やっぱり私は人のこういうところが、好きだ。
「独身ぷりん、明日食べようかな、何処で食べよっかな…。」
思わず顔を綻ばせながら、ロケットⅢのエンジンを入れた。