有明を霞めて
10月2日
「いやいや、撮んなくていいから!」
「いえ、せっかくしていただいたので……。」
別れ際、擦れて白くなっていたブーツに墨を塗っていただいた。
道を踏んでいく靴にしていただいたそれは、今後の旅路のお守りのようで心強かった。
九州に住まう知人などのお話もお聞きして、荷物をまとめる。
「佐賀へはどう行くの?」
「昨日通った海沿いの207か、長崎市街を抜けて34で行こうか迷ってます。
でも、市街地ですかね。多分。」
多分。
今、あの静かな海沿いの道を走ったら、また情けない顔になってしまうだろうから。
喧騒に紛れていれば少しはラクかと思ったが、それでもやっぱり、長崎の坂を上る頃には視界が霞みがかっていた。
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川口さんにお勧めいただいたので、佐賀への道すがらちょっとだけ『諫早(いさはや)湾干拓堤防道路』を走ってみる。
有明海は潮の満ち引きの差が大きいため、江戸時代以前から干拓が行なわれていたそうだ。
ただ諫早の農地宅地は低平で大雨による洪水被害などが頻繁に起こっていたため、ギロチン状の門を連ねてこの潮受け堤防を作り、水位を調整できるようにしたとのこと。
曰く建設時には漁業者と農業者の間で対立があったらしく、それを物語る看板も掲げられていた。
その後、果物を象ったバス停群を横目に国道207を北上。
佐賀県へ戻ってきた。
考えてみれば、暖かい方々のおかげで長崎では一度もテントを張っていない。こんなことがあっただろうか。
たった五日間だったが妙に密度があり、県境をまたいでもその余韻が頭から離れない。バッテリー岬、生月の風、アメリカン店長、川口夫妻…。
ロケットⅢの操作は体に任せて、頭はただただボーッと記憶を逡巡させていた。
道の駅 太良に腰を落ち着け、波が届かない岩礁を眺める。
「いいお日和ですね。」と掃除のおばちゃん。
「そうですね、暑いぐらいで…。」
しかしながら風通しは良く、東屋の下は心地が良い。ここでお弁当を食べようかな。
普賢岳も、もう霞んで見えなくなってしまっている。あの地へ帰れるのは、次はいつ頃だろうか。
出発する時にいただいたお弁当を一口、一口と口に運びタッパの底が見えてくるにつれ、なんだか普賢岳が見えなくなっていくような気がする。
食べきり腹を膨らませると、急に眠気が襲って来る。ここ数日は、夜中まで人と話せたからなぁ…。
今日はもう、ここまででいっか。
思わず欠伸をすると、目に水分が溜まり。余計に普賢が見えなくなる。有明海が霞んでいく。
…これはきっと、欠伸のせいだ、欠伸のせいなのだ。