烈風乱れる日本の果て
眠れない。ダメだ、神崎鼻での失態が、脳裏に焼き付いていた。
私にとって物というのは、かけがえのない友人にも等しい存在である。
友人が周りにいない一人暮らしをしていた時分から、物というのは人以上に私を支え力になってくれる、有難い存在であった。
ましてやそれが旅での仲となれば、バイクはもちろんカメラ、バックパック、バッテリーに至るまで、全て私の仲間である。
…だが思えば、今までどれだけの友と別れてきたことだろう。
幼稚園時から15年余り使っていた財布は盗まれたし、ニンジャ400Rも売ってしまった。この旅でもペグやスタンドホルダーなどなくしたものはある‥。究極的にいえば、生家だって泣く泣く取り壊したじゃないか。
9月28日
いつもいつも、“あの時…”とよく後悔しては乗り越えてきたじゃないか。今回だって、やっていける。
今後は今まで以上にリスクマネジメントをし、そしてクヨクヨせず旅路を楽しもう。
それが、友への手向だ。
…と、文に表せば幾分か心は安らいだ。
さてと。気持ちが切り替わったのはいいが。一つ問題が。
「げ。届くの明日になってるやんけ……。」
レンズフードは今日近くのコンビニに届くが、バッテリーは明日到着予定だそう。するともう1日、ここらで過ごさにゃならない……。
じゃあ、昨日見送った平戸方面にでも行ってみるか。
ホテルも……、また激安で泊まれるのなら、もう一泊しちゃおう。
ここのスタッフはタカアシグモ取ってくれたり親切だし、江迎の町は田舎で落ち着くし……。
何やら最近、甘えすぎな気がするが。
ホテル泊まりだと劈掛拳の練習はできないし自炊もしにくいし、何より金がかかる………。
「まぁ、折角最果ての九州まで来たんだ。いっか。」
最悪、親しい者に頼ってしまおう。今までそう迷惑はかけなかったつもりだから、今回ばかりは我が儘を…ね。
快晴の下、割り切ってハンドルを切った。
昼過ぎに佐々のコンビニでレンズフードとフィルターを受け取り、国道204を北へ。
赤が美しい平戸大橋を渡って、平戸島へ。
昨日行った神崎鼻は、目の前に島があってなんだか”最西端”って感じは薄かった。あくまでも”本土最西端”なのだから理屈はわかるのだが、なんかね。
折角だから、島を渡ってでも本当の最果てに行ってみたい。そう思い地図を開いてみると、平戸からさらに北西へ海を渡った先に、生月(いきつき)島なる場所が。そこへ行ってみよう。
生月島へ渡る橋が近づくにつれ、岩壁沿いの県道19号のコーナーや傾斜は険しくなり、辺境感が強まってくる。更に例の如く風も強くなり、ハンドリングに神経も使うように。
煽られながら斜め走りをしつつ生月島大橋を渡り、長崎県二つ目の島へ到着した。
島に到達すると同時に、アロハな木々が出迎えてくれる。そういう日本じゃない感は求めてないんだが。
本土から離れた島とはいえ、店や住宅地などけっこう町は健存している。昔は捕鯨で潤った場所らしく、その際に一気に発展したそうだ。
ちなみに名前の由来は、むかし遣隋使や遣唐使が帰国する際、この島を見つけるとホッと一息つけたことから”生月(いきつき)”になったそう。
またこの地はキリシタンの多かった地でもあり、同時に禁教令によって弾圧された歴史を持つ場でもある。
これは戦国時代にここを支配していた籠手田氏の代官・西 玄可の殉教地で、彼は主君が弾圧を逃れ長崎を脱した後もここでキリシタンの指導にあたり、ここ黒瀬ノ辻で処刑されたそうだ。
彼の洗礼名がガスパルであるため、ここはガスパル様の墓と呼ばれ隠れキリシタンの聖地となっているそう。キリスト教のことはよく知らないが、命を賭してまで道を違わなかったその姿勢、天晴である。
島に上陸してからは更に風当たりが強くなり、なぎ倒されている木も散見できる。
恐る恐ると思いながらも、島の突端を目指した。
北部へ進むにつれ町はなくなり、見えるのは小規模な棚田と風に流される木々、農家、そして海のみ。人の世界が離れてきた。
断崖絶壁が垣間見えるのも特徴的だった。こちらは道中にある『塩俵断崖』で、東尋坊と同じ多角形の柱状節理が美しい。
広大なキャンプ場もあったが、大人一張770円かかるうえ狙ったかのような風の通り道となっており、超烈風が一帯を駆け抜けている。
海も星も見えて絶好のロケーションだろうが、今日あたり過ごすのは無謀ってもんだろう。実際、天幕を飛ばされかけているファミリーキャンパーがいくらか見られた。
キャンプ場も通り過ぎれば、標高がさらに上がりいよいよ突端へ。
岬の名は大バエ鼻。バエとは”碆”と書き、海に突き出た岬状の岩礁を指す方言らしい。
さて、そのお味は……と。
んほぉ~~~~~! 絶・品!
やっぱり、先っちょってのはこういうことを言うんだよなぁ! 見えるのは海ばかりで、島っこひとつ見当たらない!
島というくくりで言っても最西端でも最北西端でもなんでもないが、ここは立派な日本の最果てだろう!
灯台にも登ってみる。
うおおおおおーーーー!
うっひゃあーーーーー!
最っ高ーーーーーーー!
白波を上げ轟音を響かせる蒼海。全身に打ち付けてくる烈風。荒れ狂い踊る自然の動きが、人里離れた地であることを噛みしめさせてくれる。
龍飛岬の柔らかな風も良かったが、こっちはこっちで、良い。
帰り際、駐車場で出逢ったライダーに教えてもらったが、普段はこんなに風は強くないそう。現地民の基準はわからないが、”九州だから風が強い”というわけではなさそうだ。
だったらだったで、かえって運が良かったかも。
帰り道。牧草地にもなっているのだろうか『牧場の公園』なる場所にも寄って一望してみる。
草原地帯に山に海。ああ、これぞ私の求めていた、最果てだ。非日常だ。
その後は往路と異なり、島の西側を沿う生月サンセットウェイを流して帰路につく。
コンビニで荷物待ちしたりと出発が遅かったのが吉と出たのか、良い白日が海を煌かせている。
海ばかりに気を取られてしまっていたが、なんとも巨大な岩山である。
溶岩台地の岩肌は垂直に近く重々しい威厳があり、ロケットⅢがここまで小さく見えて事は、初めてだった。
夕焼けに燃え始める平戸大橋を渡り、本土にまた舞い戻る。
やはり、安心するものなんだろうか。地に足が着いたような安堵感が胸を満たし、途端に腹が鳴り始めてしまった。あー。そういえば今日はなんも食ってないな………。
空腹も忘れるほど緊張緩めぬ、山あり崖あり風ありの大冒険を与えてくれる。生月島は、そんな旅人の矜持を再沸させてくれる最果てであった。