島の星山
9月20日
特徴的な石組のトンネルを抜けながら、ひたすら国道9号を南下する。
石見銀山は駐車場から龍源寺間歩までメチャクチャ歩くし、幽霊も出るらしい…。
だからそれを見送ったのはいいとしても、あんまり立ち寄りたい場所がないなぁ…。
“まぁ良い天気だからいっか”なんてひたすらアクセルを回し続け、江津(ごうつ)市に入り江の川を渡った時。
「…ん?」
目の端にちょっとおかしなものが見えた。あれは…。
あんじゃねぇか。興味をそそられる場所がよぉ。
山の上に、謎の★マーク。ありゃ一体なんだ? 宇宙人と交信する場所か? 日本政府までアメリカみたいなことをやってんのか…。よし、行ってみよう。
江の川近く、甍(いらか)街道なる古い町並みを眺めつつ、山へ舵を切る。
ここ江津本町は江戸時代、交易や舟運の要所として大盛銀山の次に賑わった街だったそうだ。この川岸には北前船や廻船問屋の持船が着いていたんだと。
通りすがりのクロスカブ乗りのおじさんに「今、江津駅のあたりではA1グランプリっていうカートレースがやってるから、ちょっと賑わってるよ」との情報をいただく。
が、コロナの影響で観戦はできないとのことなので山へ急ぐ。
「島の星山…っていうのか……。」
なんともメルヘンな地名が名づけられている。国道から登山道へ分岐すると、パッタリと車の列は途切れた。
段々と近づくにつれ、その巨大な★の異様さも肌で感じるほどになってくる。どうやら★は空き地の中に草地で作られているようだ。辺りには私一人というのも、なんだかちょっと薄気味が悪い。
ちなみにここは有名な万葉歌人・柿本人麻呂ゆかりの地でもあるらしい。通りすがりの高角山公園には、彼と彼の妻の依羅娘子の銅像が建っていた。
人麻呂は晩年、石見の国の役人として角の里にやってきて、その自然を愛し詠って過ごしたのだという。
頂上付近まで上れるのかとひたすら走り続けたが、途中からロケットⅢにはキツい道になったのでやむなく引き返す。
少し戻って、『島の星山椿の里』へ入ってみる。
ここは有志達が若者たちに自然と触れ合う場を設けたいと、世界中の椿を集めて造った公園なのだそう。
山の端くれにある公園にしては、見事といえる。
急斜面を上っていくと、慈母観音が。後ろに見える電波塔はなんだ、宇宙人との交信用か?
椿で形作られる公園は段々、薄気味悪い感じへ。
そのトンネルを進んでいくと、”隕石落下跡池”なる看板が。
…なるほど、そういうことだったのか。
池にはなっていないが、ちょうどここに隕石が落ちたということである。
つまりは、隕石が落ちた場所であるから、”星”と関連付けた地名にし、★マークまで作った、ということなのだろう。
上にある冷昌寺には、その隕石が保管されている”隕石大明神”なる他に類を見ないものがあった。
「これが……。」
ひ〇子まんじゅうみたいなちょっとおかしな形で、どこか荘厳感はない。が、その奇妙な形がまた不気味。
“触っていいよ”とでも言うかのように格子には小さい穴が空いていたので、恐る恐る触れてみた。
……フワフワしている。どうやら、表面は若干苔むしているようだ。
歩いていけば、頂上まで行けそうである。が…
宇宙人との交信所でないにしても、なんだかちょっと不気味だぞ? ここ…。
下の町で、おそらく祭り用に響いているスピーカーの声が、時折近くに人がいるように思えてなんだか嫌だ。
下りることにした。
木々に遮られているが、一応ここから江津の町を一望することができる。椿の迷路のようになっている場所もあって、子供を連れてきたらちょっと喜びそうだ。
振り返ってみる。やはりどこか圧迫感のある山だ。
ちなみに地図を見てみたところ、あの電波塔はどうやらNHKによるものだそうである。ちょっとロマンが崩れたな。
最近、灯りの少ない公園などで寝ているせいか、満天の星空が見られる機会が多い。が、まさか星を触れるとは思わなんだ。もっとPRすりゃいいのに…とも思ったが、なんだかあの薄ら怖い雰囲気がなくなるのも、またロマンが崩れそうである。
このままでいいだろう。なんでも江津は、”東京から最も遠い町”(恐らく公共交通機関を使って一番時間のかかる場所という意味)らしいし。人気ゼロで神秘的な場所があっても、いいだろう。