やおろずに手を叩いて
9月17日
寝ている間はけっこうな雨が降った。今日も、午後からけっこうな雨が降るらしい。
こうしている間にもポツポツと降ってきそうな空である。
劈掛拳の練習はお預けとし、早々にバイクに跨って出雲大社へ。晴れる日まで待つ手もあるが、連休中に大社なんて行きたくない。
「昼までにはどっかに落ち着かんと、酷いことになる…。」
ゆっくりと国宝を拝みたい気持ちはやまやまだったが、急ぎ足で参道へ向かう。
鉄の大鳥居の奥に、松が並ぶ。
参道は松を保護するため左右に分けられており、どちらも石が敷かれており歩きやすい。朝っぱらでも、地元の人と思われる人が何人か散歩していた。
近くに”縁結び空港”なんてものがあるほど出雲大社は縁結びで有名な場だが、なぜそうなったのかは知らない。通りすがりにあった石碑を読んでみる。
御祭神の大國主大神は”幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)”のおかげをいただいて神性を養い、ムスビの大神となって生きとし生けるものすべてが幸福となる縁を結ぶようになったのだという。
うむ、まるでわからん。
ともかく、生きていられる、人としていられることは大神のおかげであるから、大事に生きようとのことだ。
境内。誰もいない。
有名な注連縄…ってこんなにちっちゃかったっけ?
こちらが国宝の御本殿。
本殿敷地内に入ることはできないので、その周りをぐるりと歩いてみる。
がんばって背伸びしてみれば、その神域の片鱗は見られた。柵越しでもわかる。かなり年季の入った木造建築だ。
金があしらわれたりなどしない決して派手ではない様相だが、その柱の一本一本が、葺に生えた苔の一つ一つまでもが、どこか触れてはいけない神物に思える荘厳さがある。
出雲大社といえば、旧暦の十月に全国におわす八百万の神々が集まる場所としても有名である。通常、十月は神無月と呼ばれるが、ここだけは神有月と呼ぶから面白い。
神々は人々の幸福のために神議を行ない、こちらの十九社に泊まるのだという。有難い話だ。
10月ではないが、東の十九社に手を叩き、
“今までありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。”
西の十九社に手を叩き、
“こちらでの旅の無事を、どうかお願いいたします。”
そうそう、有名な巨大注連縄は隣の境内、神楽殿にあった。うーんなんかキツネの尻尾みたいで、抱きつきたい…。
こちらの社殿は建築に石などが使われており、一風変わった厳格さを放っている。
参道前の観光店ひしめく大通りへ。
せっかくなので、わんこそば、戸隠そばと並ぶ出雲そばをいただいた。
こちらは伝統的な食べ方となる割子そばで、三段に重なったそばを、重ねたまま上から薬味を散らし、お好みでつゆを直にかけて食べる。1段目が食べ終わったら2段目に薬味を散らし、1段目に残っているつゆをかけて食べる。3段目も同じ。
ポピュラーなざるそばとは違って、だしに浸さないぶん蕎麦の香りが際立つ。かつお節風味のつゆもなかなかクセになる味で、鼻口ともに堪能できた。
出雲といえば阿国。彼女の墓も見たかったが、時間が怪しくなってきたので渋々先へ。
道の駅 キララ多岐に落ち着くことにした。
イルカも見えるという折角の白浜も、こうも天気が悪くてはな…。
それでもやはり、山の閉塞された空間で雨粒を迎えるよりは、気持ち的にラクだ。少々早いが、このあたりにさっさとテントを張ってしまおう…。