風来記

侍モドキとバイクの放浪旅を綴ってます。

久遠石段

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ちとダルい。なんか最近、ダルい。

そういえば温泉入るたびに体重計乗ってるけど、減ってく一方だし…。


「今日は中国武術、お休み!」

昔テレビで見た90代で筋トレしてるおじいちゃんも、“適度にサボることが大事”って言ってた。

それに、今日は雨予報だし早めに目的地に行っておきたい。

 

鬼○者でも訪れた、安土城だ。岐阜城と並んで信長の城として名高い、安土城。

 

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ただ、ここは城址”である。見えた筈の天守の姿はなく、外から見ればただの山にも見えるような、物悲し気な雰囲気が漂っている。

 

「城址でも金を取るのか…。」

と渋々700円を払い入山すると、なるほど。金を取る理由が分かった。

 

 

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壮大な数と幅の石段が、山頂に向けて佇んている。石段そのもののスケールで比べたら、立石寺にも勝る迫力だ。

 

安土城は、信長が鉄砲隊を用いて武田勝頼を打ち破った、あの有名な長篠の戦の翌年に築城が始まった。その建築にあたっては各地から多くの人員が徴発され、当時最大の技術を以て作業は進められたのだそう。

そして築城開始から3年後の天正7年には天主が完成し、めでたく信長も移り住んだそうだが。なんとそのわずか3年後に本能寺の変で信長は殺害され、明智光秀の手に渡ってしまったのだ。信長、もっと住みたかったろうに。

 

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その光秀も羽柴秀吉に敗れ、すぐに天主・本丸は焼失。その後は信長の息子や孫が入城をしたのだが、それらも秀吉に屈すると、安土城は廃城するに至ってしまったのだ。贅は尽くしたがそれを存分に振舞えなかった、なんだか不憫な城である。

城址は信長が城内に建てた摠見寺(そうけんじ)の方々が、現在に至るまで守り続けているそうだ。

 

 

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大手道の登り口には、重臣であった豊臣秀吉・前田利家の居宅もあったそう。

 

 

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視界を覆いつくす、石段。…信長の城にはサディスティックな道しかないのか。

急こう配で、しかも七曲がり状にくねっており、少々足にこたえる。

 

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この石段の材料は周辺から無差別にかき集められたそうで、その中には石仏や墓石なども含まれていた。故に、このように仏様が彫られた石段がチラホラと見受けられる。信長らしいというか。

 

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急こう配な箇所の曲がり角には踊り場を設けず、扇状の石段が並べられているのもこの道の特徴。

 

 

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ひととおり上り切り木々の傘の中に入っても、石段はまだ続く。この先は本丸・天主方面だ。

 

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山の上なのにものすごいスケールの石垣である。天主付近に使われている石は、下のものよりさらに大きいそうだ。運ぶ人ら大変だったろーに。

 

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ここが本丸跡。

ここには、天皇の住まいであつ内裏清涼殿(だいりせいりょうでん)と非常によく似た建物があったそうだ。そういえば信長は天下を取るにあたり天皇を城に呼び寄せたかったと聞いたことがあるから、その名残なんだろうか。

ウキウキしながらもてなす準備をしていたのに、それも叶わなかった安土城…ああ……。

 

 

 

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そしてここが天主跡。さっきから気になっている人もいるだろうが、なぜ天守ではなく天主と書くのか。それは私にも、わからない。

規則正しく並べられている石は往時そのままの礎石で、ここは石垣の崩落を防ぐ補強が加えられている以外は、検出した当時の姿そのままなのだそう。

安土天主は地下一階、地上六階のそれはそれは大層な大建築、いうなれば今のスカイツリーにあたるものだったのだそうで、私が建っているここは地下一階部分なのだそう。だから、てっぺんからの景色は………

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思わず、空を見上げてしまった。

 

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きっと琵琶湖も良く見えたことなのだろう。この場所ですら良い風が吹くのだから、天主の居心地の良さといったらたまらなかったろうな。ああ、もっと住んでいたかったろうなぁ…信長。

 

 

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その後は摠見寺跡や仁王門などを見物し、安土山の裏手側へ下山。その後中腹沿いにぐるりと回り、入り口に戻った。

 

 

 

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いやはやホントに、石段の城と呼んでいいほど、石段と石垣まみれだった安土城。これは足を運んでみた甲斐はあった。

言ってしまえば、作業員の苦労なんか度外視でこれを打ち建てた信長の非情さたるや。天晴である。ま、ちゃんと払うもんは払っていたのかもしれないが。

それにしたって、下に住む民から見たら天を突く安土城の姿は、畏敬を抱くには充分であっただろう。民にどう見られようが恐れられようが、構わない。馴れ合いなど不要。自己の誇示、野望の成就に率直であった信長の姿勢は、学ばねばならないとは思う。

 

俺もなんか、後世に影響残せるような、偉い人になりたいもんだなぁ。

例えば…

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例えば、この岩! 大亀の頭みたいだ! 以降大亀岩と呼んでくれ!っつったら、そういう旨の看板建てられるような…。そんな程度でも、いいからさ。

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