歴史息づく街①
8月23日
一晩寝かせて頂いた倶利伽羅は、源平合戦由来の地らしい。だが、全容はよくわからなかった。
火牛の計って何だろう…。火を括り付けた牛を突っ込ませたのかな。
看板によると、津幡町にはひまわり畑がある河北潟があるらしい。本日は金沢を散策する予定だったが、まだ早いので朝の運動がてら行ってみる。
内灘方面には、滅茶苦茶だだっぴろい農業地帯が広がっていた。正直北海道も顔負けのスケールのデカさである。
農業用道路をゆったりと流しつつ、地図を確認しながら進んでいく…。
「な、なんだと…。」
マジかよ。たしか8月中旬までが見ごろって書いてあったよな…?
いや待てよ、千葉で寄った佐倉のチューリップ畑も、コロナ対策のため泣く泣く全部刈り取っちゃったって聞いたし…。ここもそうなのだろうか。
残念に思いながらその場を後にする。
畑の奥、海側に見える内灘の市街地も気になったが、今日はロケットⅢを休ませる日。金沢駅西口の、無料駐車場に着地してバックパックを背負った。
西口から東口に通り抜け振り返ると、”金沢駅といえば”というあのモニュメントが眼前に広がった。木造のそれも良いが、背後のトラスフレームに支えられた曲線のガラスも良い。
暑いが今日もいい天気だ、張り切って観光…いや見聞しよう。
ひとまず、金沢城址を目指してみる。
金沢は用水の街という別称もあるらしく、市内には55本もの用水が流れているらしい。
この金沢駅通りに流れている水路は、犀川から取り入れた辰巳用水。なんでも兼六園、金沢城を経てこちらへ来ているのだとか。ほほう…。
ちなみに長野でも犀川沿いを通ったが、あちらとは別物である。
金沢もまた、かつて城を中心に栄えた歴史ある街。一帯は二重の惣構(そうがまえ…堀や土居で固めた施設)で守りを固めていたらしく、ここに復元されているとおり升形もいくつか設置されていた。
金沢城址公園手前にあった、黒門前緑地。
1995年まで金沢地方検察庁の敷地であったそう。またこの辺りは前田利家の四女、豪姫が長く住んでいた場所らしい。すごい名前の姫。
公園の東口、黒門から入城すると、突然広大すぎる芝生が目に飛び込んできて唖然とする。
スケールがデカい…。これは、ちょっと見物に…というレベルでは済まなさそうだ。
奥に城壁が見えるので、そちらへ。
守りの要という河北門。門がかなり堅牢に再現されている…。”富嶽”って感じだな。
門の先にはさらに広場…三の丸が広がって見える。”まだまだ歩きそうだな”と覚悟しながら門をくぐり、目を横に動かしてみると。
「すっげぇ…。」
再現しすぎだろ。
めちゃくちゃデカいじゃないか…。
よく整えられた芝の上で、光を受け輝く白瓦が美しい。
「ええ…。」
城壁に近づけば近づくほど、見れば見るほど、その行き届いた整備、美しさに感嘆としてしまう。
下を流れている水路は、先に述べた辰巳用水である。兼六園から”逆サイフォン”なる高度な技術で、ここまで引かれている。
金沢城は平山城で、本丸の標高は約60mと比較的低地にある城である。岐阜城見習え。
かつては加賀一向一揆衆の拠点とされていたが、信長の重臣・柴田勝家がそれを攻略。その指揮下にあった、佐久間盛政が初代城主になったそうだ。
その後前田利家が能登七尾から移り、城主に。以降江戸時代を通して、加賀藩前田家の居城だったらしい。
佐久間…。あれ、阿尾城にゆかりがあるのは佐々だったよな。紛らわしい。
城下町との標高差約30mという立地が、なんだか親しみやすさを感じさせてくれる。偉ぶってないというか。
だからこそ市民に愛され、ここまで再現がなされているのだろうか。たいてい城址というと何もないか、天守や堀がとりあえず復元され、あとはただ公園…というイメージがあったが。
ここは、嬉しいことに視界のほとんどを歴史的建造物が埋めてくれる。道着を着て歩いていると、本当に往時の城中を歩いているように思えた。
「いろんな城址も見て来たんですよね。どうですか? 金沢城は。天守とかなくて、見劣りするでしょう。」
1時間ほど歩き回り休憩していると、ボランティアガイドのおばあさんが声をかけてくれた。
「いえいえ、とんでもない。今まで見てきた中で、一番復元が進んでいますよ。美事です。」
無料でガイドしてくれる人がいるというのも、やはり金沢の歴史が愛されているが故なのだろう。
歴史を重んじ、親しむ町、金沢。県庁所在地でありながら豪奢にしない…いい心意気じゃあないか。
続く