さざなみに揺られて
夜が深まるにつれ、浜辺に打ち付ける波も強くなってきた。
ザザーン、ザザーン…。
さざなみが曲を奏で始める。
慣れないハンモックでの就寝ということもあり、眠れない。
が、星空と波音を堪能できる時間が増えると思えば、苦ではなかった。
蚊帳越しに空を眺めながら、これまでの旅を振り返る。
埼玉の森の博物館の人たちは…元気だろうか。
初日の、雨に叩かれ続けるテントの中は、今でも忘れられないな。
あれから見たこと、聞いたこと。全部、ちゃんと覚えているだろうか。
盛岡を流れていた河の名前は…、北上川。ああ、ちゃんと憶えてる。
北海道に渡って、帰ってきて…。どのぐらい経ったんだっけ。
新潟の親戚の家の天井は、未だに思い出せるな。
毎日違う景色を見る毎日にも、慣れてきたなぁ…。
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8月22日
「パラダイスが夢の跡、かァ…。」
朝起きると、すぐにテント類を片付けてしまった。長くここに居たら、気持ちが揺らいでしまう気がしたから。
また予定のない旅の始まりだ。
ガソリンスタンドに寄りつつ、能登の先端を目指す。
「珠洲の地図とか、要りますか?」だって。能登の人は優しいなぁ。
暫く木造の家が立ち並ぶ、漁師町の間をすり抜けていく。
突端が近づくにつれ、時が止まったように何もない景色が増えてきた。
途中で眺めに寄ってみた、『ランプの宿』。高級旅館らしい。崖上の駐車場から、バスで下まで降りていくそうだ。
近くには聖地なる『青の洞窟』があり、是非見てみたかったのだが。
「聖地ね…。」
先へ進むことにした。
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私は半島が好きだ。海に侵食されてできた崖のコーナリングの退屈しないこと、海風の気持ちいいこと、グルリと周ったときの、達成感のあること。
そんな半島へ足を踏み入れたのなら、その突端には足を延ばしてみたくなるものである。
下北の大間崎、津軽の龍飛岬、男鹿の入道崎…。
そしてここ、能登もそうだ。行かなくては。
徒歩ルートでしか行けないという禄剛崎を上り始める。
けっこーキツいですね…。
10分ものんびりと上り続ければ、やがて平坦な岬に出られる。
西洋風の真白な外壁が美しい禄剛埼灯台が出迎えてくれた。
明治の時代、技術指導に来ていたイギリス人が建てたらしい。
ああ、最果てって感じの岬。曇り空が良い味出してやがる。
ここ禄剛崎の海は海上交通の難所であったらしく、昔はここらで狼煙を上げ安全を図ったことから、地名もまた”狼煙”となったのだという。
波の浸食によってできた『千畳敷』を眼下に、日本海。この先には…、佐渡島が見えるのか。新潟から見えるイメージなんだが…。
半島を旅していると、方向感覚が狂う。日本海を見ていたつもりが、富山湾を見ていたりなど。次第に考えるのが面倒になって、思考を止めるのだが。
西には七ツ島、東に金剛崎、それに連なるように北アルプスも望める…とまぁ贅沢な岬だが、この天気ではどうしようもないな。
だが個人的には、こんなねずみ色の海も好きである。少々荒々しく顔に叩きつけられる風が、心地いい。耳につく断続的な波音が、気持ちいい。
暫く座り込む。この文を書いているのもここだ。
西を見てみる。こっから本土が見える筈はないのだが、私の目にはこれから続く、旅路が連なって見える。
「まだまだ長いね、にっぽん列島…。」
“新潟が半分ぐらいですかね”なんてのは旅に出る直前、床屋に言われたセリフだ。
たしかに位置的にはそう見えるが、数的には石川でまだ17県目、半分にも満たない。まだまだなのだ。
それでも群馬で、「日光」だとか「熊谷」って標識を見たときは、”回ってきたなぁ”ってしみじみ思ったもんである。
ここ最近は…そう、
ここまでよく来たと自分を労う時もあれば、まだまだだと自分を叱咤する時もあって。気持ちがやや、複雑である。
「まぁ、続けてきたら続けてきたぶん、なおさら続けなくちゃ気持ち悪くなってくる。」
そんな結論に落ち着くのだが…。そうなるとこの旅に、私の旅に終わりはあるのだろうか…。
雲が晴れてきた、そろそろ行こうか。