阿尾の青い海
前回より
「あそこを目指す。」
海岸の比美乃江公園・見晴らし台より、白い岩壁を擁する丘陵を見据える(写真真ん中あたり)。あそこに、城址があるはずだ。
北へと長く続く公園を、歩き出す。ジンと刺し込む暑さ。今日もまた、辛い行軍が待っている…。
と思ったのだが、意外や意外。けっこう涼しかった。
というのも海の隣をひたすら歩くルートなので、日差しは熱いが、大海原の風がそれをあっという間に吹き飛ばしてしまうのだ。
快走、いや快歩。
美しい青を眺めながら、笑顔で歩みを続けていく。
だんだんと近くなってきた。
手前の2本の岩のレールは、どうやら住宅地の用水路を導くためのもののようである。
それを横目に過ぎ、少しだけ陸地に入り込むと。「阿尾」に入る。
「阿尾(あお)って読むんだ…。」
先刻までずっと”あび”だと思ってた。”あお”城ね。
ほどなくして城址入り口に到着。坂はやや急峻。遠目から見てその高さからわかってはいたが、さすがにここは汗をかきそうだ…。
けっこうな自然である。
阿尾城は富山湾に面した独立丘陵上の立地、伝本丸には櫓があったと考えられていることから、海上交通を監視していたと思われるらしい。
1573~1596年頃には菊池右衛門入道という人が入城し、織田信長配下の佐々成政という人に従ったらしい。だが成政と前田利家が対立すると、菊池は前田へと寝返って一万石を安堵されたんだとか。寝返りのお城ですか…。
またここは城址であり神社でもあるらしく、その名を榊葉乎布神社という。
菊池家が西よりこちらに来住するにあたり、伊勢神宮に詣でてそこの榊樹をこちらに植栽したから、榊葉神明宮といわれたそう。
入り口付近こそ整備はされているみたいだが、社を追い越し、奥に進むにつれて手付かずが目に見える状態に。
段々と細くなっていく石段を登りきると、伝本丸跡地だ。”伝”って、”そう伝わってます”って曖昧な意味なのかな…?
と思いきや、まだ本丸跡じゃなかったっぽい。なんなんだ。
先には木々が遠慮なく伸びており、虫も跋扈している状態が見えているが…。ええい、ここまで来て引き下がれるか。
すげぇ道。裏立石寺を思い出すな。あそこよりはマシだが。
両側が崖となった土橋状の道もあったが、立て札曰く”城郭らしさを残す貴重な遺構のため、柵は設けていない”とのこと。危ないわ。
そんなこんなで嫌な道だったが、3分も進めば光が見えてくる。
何もない草だらけになった土地。今度こそ、本丸跡のようだ。この感じは白井城址を思い出すな。
申し訳程度に設けられた物見台に上ってみても、もはや草木の背丈の方が高くて港は見渡せない。
だがここで、たしかに海を見下ろしてた侍たちがいたんだよな…。
白井でも思ったが、こうして忘れ去られていく遺跡たちの、なんと寂しそうなことか。
人によって建てられ、人によって壊され、人によって残され。それでまた誰かが、観光にでも来るのならいいのだが。こういった場所は、もう、ほとんど誰も、来ないだろう。
残された石垣が、櫓が、道が、柵が手すりが電灯が。みーんな、寂しそうである。
俺は、とりあえず生きてる限りは、覚えとくからね。
~~
「それにしても、青い海を持って”(阿尾)あお”とは、なーんていい名前なんじゃろうか!」
天気が良い日は、富山湾からは立山連峰が見れるとのことで。それが”世界で最も美しい湾”といわれる所以でもあるのだろうが…。結局、1回も見れなかったな。
だが、それでもいいや。私はこの、先の見えない、可能性を見せてくれる海が好きだから。
波打ち際に座り込んでいると、海鳥たちが颯爽と目の前をかすめていった。それらは城址を越え、海を超え、遠くへと滑ってゆく。
それにしても氷見の道の駅のソフト、なっげーなぁ!