旅の恥は
8月10日
暑い。
眠れない。
熱が抜けないアスファルトの上に、テントを張ってしまったのが大間違いだった。
まるでサウナの中にいるようだ。外気温も高い。微風程度では、何もどうしようもない。
おまけに10メートルほど先の草むらでは、何かの獣の息遣いが聞こえる。
テントを出でて徘徊したりと気を紛らわせたが、3時近くまで意識が途切れることはなかった。
翌日は温泉に浸かって1日過ごし、草地の上で寝て気力を整えなおした。
『湯の華温泉』から見下ろす木曽川は見事な流れっぷりだった。岐阜城から見た長良川といい、岐阜は快活な河に恵まれた場所のようである。
そして、
8月12日
富山方面へ向けて、北上する。岐阜も長野に負けじと縦に長い県だ、気合を入れよう。
山の方へ行けば、少しは暑さもまぎれるといいのだが。
今日は国道41号を上り、下呂を見物に行こうと思う。
飛騨川の流れる渓谷に入ると、厳美渓に迫る険しい岩石群が目の端に映りだした。
ダムを越え水の流れが弱まると、今度は山の姿を正確に映し出す川面が拝める。
なんて目に嬉しい道なんだろう、これがただの国道だとは、贅沢な話である。
そそり立つ雄々しい山々を眺めながら、碧の飛騨川沿いを上っていく。雲と山の影に涼を見つけながら、風を切っていく時間が心地いい。
ちょくちょく追い越していく車がいる程度にカーブも緩い。なんの恐れもなく、コーナリングを楽しめる。この道もまた、私のお気に入りリストに入れるとしよう。
~~
1時間ほど走り、日本三名湯が一つ、下呂に到着。
下呂大橋の近くに隠れた駐輪スポットがあるので、そこに無料で駐車した。
下呂大橋を西側へ渡ると、本日の大本命が見えてきた。けっこう人がいるな?
大橋のたもとには噴泉池…つまり温泉が湧きだしている場所があり、そこはなんと無料で入浴することができるのだ。
ただし御覧の通り人目につきまくりな場所なので、現在は入浴する際に水着を着用することがルール付けされている。しかし付近には着替え場などもないので、観光客は皆足湯としてそこに浸かっていた。
安心してほしい。
穿いてますよ。
「くぁ~~~っ! 熱いっ!」
が、すぐ体に馴染む心地いい熱さだった。
下手に足だけ浸かるよりも、全身で慣らした方がよっぽど気持ちいい。何よりこの吹きっさらしもいいとこなロケーションだ、火照った体は風がすぐに冷やしてくれる。
事前にこの場所の情報を得ておいてよかった。人目につかない駐車場で、ロケットⅢに隠れながら水着を穿いておいたのだ。
周りのカップルや親子連れは、意識しないようにしつつも、やはり一人だけ肩まで浸かっている私を見てしまうようである。
ふっ。これが旅人の姿だよ。参ったか。
水着なら浸かれると知らなかった人もいるのだろうが。
こういった場所で、肌を晒す恥じらいを捨てきれないとは、なんて修行の足りない人たちなんだろうか。
「旅の恥は掻き捨て~~~~~~~~!!」
と、心の中で叫ぶ。
一人だけ極楽の湯に浸かっている状態に、優越感すら覚えてしまった。断っておくが、私は決して露出狂ではない。
開・放・感。
この舞台を無料で楽しめるとは、い~いセンスしてるじゃあないか、下呂。
身体がのぼせてきたら、風で冷やすのもいいが。近くには飛騨川が流れている。つまりだ。
くあ~~~~!
冷てえっ! たまんねぇなぁ!
こうして1時間半ほど、贅沢な温泉を堪能したのであった。
小川を挟む温泉街。
下呂が三名湯の一つとなったのは、正長時代の詩僧・万里集九と、江戸時代の儒学者・林 羅山が、それぞれ”有馬、草津、下呂は三名泉である”との文書を残したのが由来とされている。
それによって名湯としてより高い人気を誇るようになった下呂であるが、その維持は洪水による湯壺の埋没と戦う、住民たちの苦難があってこそだったのだという。
実に一千年以上もこの湯を守り続けて来た地元民たちの温泉愛に、たまらず感謝の念を覚える。
「本日は良い湯に浸からせていただき、ありがとうございました。」
その畏敬の念と継続の願いを以て、小ぶりながら下呂温泉神社も建立されていた。祀られているのは、出羽三山が一つ、湯殿山神社の御分霊である。
そう、山形で即身仏を拝ませていただいた、あの湯殿山だ。
温泉街は坂道となっており、せっかく流した汗をまたかくのも嫌だったので。『温玉ソフト』なる名物を堪能したら、その場を後にした。
しかし草津もそうだが、温泉街ってのは一度、泊りがけで堪能したい場所だなぁ。カランコロンと、浴衣を着て下駄を鳴らしながら歩く客が羨ましい。
それもいつか、いつかだな。今は修行の時、無料温泉を堪能する時だ。
さぁ、頑張って山を越えるぞ!