魔城
8月10日
道の駅 賤母の清水を頂き、岐阜編開始。テントの撤収をしている時、「ゴミない?」と話しかけてくれた掃除のおばさんが優しかった。
木曽川を挟み、瀬戸の斜面に並ぶ田畑や住宅地を横にしながら、中山道に別れを告げる。
相変わらずの熱波に苦しみながら、ロケットⅢを休ませつつ国道19・21・248を、誤って愛知県に入らないよう進む。本日の目的地は岐阜城だ。
“えっ岐阜にお城なんてあるんだ。”
なんてのは昨晩電話した母の言葉だが、あるのである。かの有名な信長の居城として名高い場所だ。
ただ私自身、”これが岐阜城です!”とテレビなどで大々的に映し出された岐阜城を見たことは、ない。あまり見かけないその理由の一つは、岐阜城が山の上に建てられた山城だからだろう。鶴ヶ城とか大阪城とかみたいに、街中から簡単に眺められるものではないのだ。
といっても知れた高さの山なのだろう?と、標識に従い岐阜城へ近づく。
長良川に沿い始めれば、そろそろ見えてくる筈なのだが…。ふと、左手の山を見ると。
あった。
お分かりいただけるだろうか。ちょうどロケットⅢの前輪の、上あたりに天守が見える。
「えぇ…っ、たっか…! けっこうな山にあるんですねえ!」
岐阜城公園にロケットⅢを停めると、金華山山頂までのアクセス方法を確認する。
一番手っ取り早いのはロープウェイを使うことだが、往復1,100円か…。登山道でいこう。
その登山道も4つに分けられているみたいで、それぞれ難易度や所要時間が異なる模様。
その中の一つ、『馬の背登山道』に目が留まる。
「もっとも険しく、健脚向き、ですか…。」
行くっきゃないな。岐阜城落としと洒落込もうじゃないか。
馬の背道は、かつての登城道である『水手道』から分岐するというので、ひとまずそこから登山開始。
小学校のころ習った、閃緑岩…みたいな尖った岩が、登山道にゴロゴロと露出している。上を踏むと、ブーツ越しでも足の裏に鈍痛が走る。
ゆるりと進み10分後、いよいよ馬の背道との分岐点へ。でかでかと「老人・幼児には無理です。」と掲げられている。
俺は老人か?幼児か?臨むところじゃねぇか!
暫くは岩の露出こそ少ないものの、なだらかな斜面で歩きやすい路面だった。
「たしかに獣道で、一般の人には大変かもな…。」とたかをくくっていたが、数分後。
「なんじゃこら…。」
登山道って名前つけていいのかここ。崖じゃねぇか。
馬の背道は、かつての裏道として使われていたらしい。さながら急用の忍者とかが、飛び回りながら駆け抜けてったんだろうか。
四つん這いにならないと進めない岩の道…道? いや崖。辛うじて垂直ではない崖をエンヤエンヤと登っていく。
たしかにこれは、老人子どもには無理だ…。だが、これが一番の難関ってとこじゃなかろうか…。
登りきる。
そんな筈はないのだ。さっき見たじゃないか。あんだけ高い山なんだから。そう、数十分で登りきれる訳がない。
息を切らしながら、肘を曲げ、膝を曲げ、岩をつかみながらひたすら上る。
登っても登っても、岩場の崖は現れてくる。
“これを登れば、これを登れば、もうすぐ…。”先は長いと頭ではわかっていても、そう思わずにはいられなかった。
たまらなくなり、腰を落とす。
お湯になった賤母の清水をガブガブ飲み、心臓を落ち着ける。
ヤバイ、ヤバイかもしれないぞ、今回ばかりは…。
脚のジンとする痺れが解けたあたりで、またバックパックを背負い歩きはじめるが、やはり疲労は取り切れない。さきほどよりも早いインターバルで、また座り込む。
これを数度、繰り返した。
脚がガクガクと震え始める。
効率的ではない登り方だとわかってはいても、コース指示用に設けられたロープに縋りつきながら、岩場に足をかける。
汗がヤバイ、滝のようだ。俯くだけで、容易に雫が落ちてくる。
辛い。辛い。
ヤバイ、頭が若干、ボーっとしてきた。また、座らないと。これ以上歩いたら、何か吐き出しそうだ。昼飯を食べてこなくて、良かった…。
死。
とまではいかないだろうが、こんな低山で遭難の二文字が頭をよぎった。
裏立石寺とかで付けた自信が、悪い方向へ働いてしまった。こんなバックパックを背負って、どこへでもいける筈はないのだ。
この旅を始めて以来、初めて自分の選んだ道を後悔した。
「見えた!」
光だ。山頂だ。
最後の力を振り絞り、整備された石段を一つ、二つと脚に悲鳴を上げさせながら登りきる。
「………!」
もう、言葉が出るより先に、ベンチにどっかりと座り込んだ。
馬の背道登山開始から約50分後。ようやく、復元された岐阜城を拝むことができた。
「もうっほんっと……! 馬鹿かよ…! なんでこんなとこに城建てた…っ!」
信長の城らしい。まさに、魔城である。
見てよこの景色。
岐阜の町を見下ろして、カッカと笑っていたんだろうなぁ。
天守閣には200円払わないと入れないし、もう登る気力はなかったので見送った。
先ほど信長の魔城と言ってしまったが、かつての城主は美濃国を治めていた斎藤道三だった。名前も、その昔は稲葉山城。美濃の攻略に成功した信長が、それを追い出し自らの天下取りの拠点としたのである。
信長のものになってからは、石垣のほか巨石列が構築されるなど近代的な大改修が施され、まさに山そのものが敵をはねのける、城としての役割を果たしていたことになる。
恐ろしいほど攻めにくい城であることは身を以て経験したが、それでも関ヶ原の前哨戦で福島・池田両軍に攻め落とされたのだというから、昔の武士というのは本当に凄絶なものだったのだな、と畏敬の念を覚える。
山頂のレストラン『La Pont
de Ciel』では道三・光秀・信長の三英傑をテーマにした丼物が用意されているのだが、道三と光秀は完売。『麒麟がくる』効果ってやつですかねぇ…。
哀れ信長よ、注文してやろう。
『信長どて丼』を片手に、城下を見下ろして。我カッカと笑いけり。