役目終えたる街道で
8月4日
長野原は、恐ろしさを感じるほど深い谷を擁した、厳しい土地であった。
今でこそ人の手によるものが見られるが、それでも散見できるといったレベルである。
当たり前だ。こんな場所で人が栄えるのには、多大な時間と労力、そして覚悟がいることだろう。
河の向こうは、朝露で見えない。その光景が、人界ならざる世界であると物語っているようで、肩がすくむ。
テントを張った道の駅 八ッ場の不動大橋。一時建設中止となりながらも架けられた立派な橋なのだが、装飾などはなく簡素だ。それがまた、この殺伐とした雰囲気によく溶け込んでいる。
下流側の景色。この先に八ッ場ダムがある。
それの建設にあたり、かつてここにあった文明は水底に沈められたそうだ。
八ッ場ダム付近には吾妻渓谷もあるし、せっかくなら行ってみたい気もするのだが。
ロケットⅢの体調のこともあるし、国道145・353を通って真っ直ぐ前橋へ行こう。できるだけトライアンフに近づいておき、明日の朝一で頼み込めるようにしておく。
エンジンをかけると”いや、ぜんぜん絶好調ですよ?”とばかりにロケットⅢは調子よく声を上げるが、
「いや駄目だ、お前。さすがにそろそろ、一度診てもらうかんな。」
できるだけ回転数を上げないよう意識しつつ、吾妻川沿いに東へ向かう。
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草津から前橋まで。群馬を横断すると言うと大移動に思えるが、さほどスケールは大きくなく1時間ほどで国道17号に着いてしまった。バカでかい北海道での体感は、未だ抜けきっていないようだ。
道の駅 こもちにて一晩過ごすことに決め、陽が落ちるまで付近を散策してみる。ここは『白井宿』という古い街道がある場所のようだ。
道路の中央に用水路が流れ、その両脇が一方通行になっている。
あ。思い出した。ここ、むかし編集部員時代に撮影に来た場所だ。
懐かしいなぁ。メインで作ってる雑誌の作業が忙しいのに、サブ雑誌の嫌いな編集長に1日中撮影の手伝いに連れまわされたっけ。
利根川と吾妻川の合流点に起きた集落ということに由来しているのか、一帯にはいくつもの井戸があり、その一つ一つに名が与えられていた。
中世、ここの西方丘上には白井城が築城され、総曲輪で囲われる中に白井長尾氏統治の下、政治・経済・文化などが発展。”白井文化圏”の核とまでいわれたのだという。
さらに近世に入ると、岡上代官の命により街並みが整備。沼田・中之条・渋川・前橋の中継点である街道として栄え、地域の人々は半農・半商として働いた。
数々の旅人が往来する場所であったため、いつしか宿場町でないのに白井”宿”と呼ばれるようになったのである。
だが、それも元禄時代だとかの話だ。
明治に入れば今の国道17号が生まれ、市場街道としての役割もそちらに継承。住民も、やがて農作業に注力するようになった。
現在もこうして用水路が残されるなど形はよく残っているが、人影は少なく、店もまず、ない。近くにある『こもちの湯』も、老朽化のため今年度で閉鎖されるそうだ。
17号の渋滞を避けているのか、時たま車が、景色など見ずに通り過ぎてゆくだけ。
カフェの人いわく、春には八重桜が咲き誇り人が往来することから”忘れ去らるる…”という訳ではないようだが、それでも往時の隆盛を想うと侘しい気になる。
昔から今まで、ずうっと流れ続ける用水路の音が、寂しげに響いていた。
端まで歩いたので、白井城址へ行ってみる。
入り口はこちらの神明宮。住宅地のなかに、ひっそりと階段が顔を覗かせていた。
そこからこんな感じで道が続く。
ふ。今回も汗をかきそうだ。
“白井城”なんて今日初めて聞いたが、土塁の跡がよく残っており見る甲斐があった。人が攻め込みにくい地形…というのがひと目でわかるいい資料だ。名が知られていないのはもったいない。
小高い丘を登れば、本丸跡地。
御覧の通り、”兵どもが夢の跡”、だ。
建築物がないのは当たり前。人が歩いた形跡もなく、草は伸び放題。が、昔は誰かがいた。だから腰を落ち着けられる。落ち着く空間。
関東無双の案者(知恵者)と称された長尾景仲の時代に築城されたという白井城は、豊臣による小田原攻めの際に前田利家、上杉景勝両軍の前に開城。その後家康領国下では、沼田城の真田昌幸を抑える前線基地の役割を果たしたのだという。
今は敷地の多くに農作物が植えられている有様だが、そのすぐ脇には堀があったりする景色が面白い。
もともと天守閣があったりした訳でもなく、吾妻川を天然の防衛線とした質素な城だった。
大事に大事にと観光名所に仕立て上げ金を巻き上げるよりも、こうして畑を眺め、山を眺め。往年の士が見た景色に想いを馳せる方が、良いのかもしれない。
それでも、忘れ去られていく城とその住人達のことを想うと寂しく感じたので。
”私は、忘れませんから。”と塚に手を合わせた。
「ザ・日本の夏って感じの坂道だなぁ…。」
下りていけば、またあの水のせせらぎが聞こえてくる。
昔から今まで、ずうっと流れ続ける用水路の音が、これからも。誰に見られなくとも。ずうっと、このままでいられると、いいな。