我幸せ者なり
~前回より~
練習を終えた後、しばし歩いていると例の『八幡湿地』が見えてきた。
思ってたよりも小規模で少々拍子抜けしたが………それよりも、なんかいる。
田んぼを見守る『トコロさん』だそうだ。ボランティアの手によって湿地は手入れされているらしく、たしかに小さいながらのんびりとした雰囲気に囲まれている。
トコロさん…となりの……いや、笑ってコラえて…
いやいやそれよりも。すぐ近くに八幡神社が鎮座していた。
旅立ち1日目なのだ、安全を祈願しておくことにする。
そういえば今後神社を巡る機会も多くなるだろうが、私は御朱印帖とやらを持っていない。今年の初詣でも、御朱印自体は地元の諏訪神社で書いてもらえたが、御朱印帖は売ってないというションボリな事態に…。
有名なとこなら取り扱ってると聞いた。
ここは本殿がかなりピカピカ。売っているだろうか?
神主…と思われる方に尋ねてみると、よかった売っていた。しかも、かなりお洒落でホタルが描かれている。
「すごい恰好ですね。」
「(道着に大型バックパック、そんでもって刀袋だもんなぁ…)武者修行をしているんです。」
「いやぁ、お若いのにご立派ですねぇ。」
「いやいや、若いだなんてそんな…」
とわざとらしく頭を掻いていると、神主殿が「ウチではバイクの交通安全お守りも扱っているから、一つ差し上げます」ととんでもなくうれしいお言葉を言い放ってくださった。
「えぇっいいんですか!?」
「旅、お気をつけてほしいので。がんばってくださいね」
ありがとうございます、名も知らぬ神主と思われるお方…。このご恩は忘れません。
それから、今度はふもとの住宅街を抜け、森の案内所まで戻ってきた。
女性スタッフが「おかえりなさい!」と声をかけてくれる。
「ちょっと道中で道草(修行)をしちゃったんで…。あんまり回れてないんですよ」
「すんごい荷物ですから疲れますもんね! お疲れ様です。」
「パソコンとかなんだとか、散策に関係ないものばかりですけどね…」
「行かれるときお聞きしましたけど、日本一周するんですよね。ほかの埼玉の名所も観てってください!」
日本一周をする人。そうだ、私は今、旅人として扱われてるんだよなぁ…。
いやはやついにここまで…
その通りだと、そして今日が1日目だと伝えると、スタッフの方は「えーっじゃあここが初めての立ち寄り地ってことですよね! うれしいです!!」
と大感激してくれた。言われてみれば…そうなるなぁ。
ついでに…とばかりに「埼玉のオススメスポットとかあります?」と聞いてみると、他のスタッフさんたちを巻き込んでさぁ大変な事態に。怒涛のように情報が口から踊り出てきた。
「グルメだったらワラジカツ! おいしいんですよ~!」「あと行田のゼリーフライも!」
「川幅うどんも、最近芸人のはなわさんが歌ってたよね~」「名物といえば深谷ねぎ!」
ふんふん、ゼリーフライ…食ってみたいな。
「面白いところといえば~、秩父の地層とかどうですか!? あそこ、昔海だったんで、化石とか見れるんですよ~!」
それは、おもしろそうだ。じゃあ明日はそこに…
「小鹿野のようがけっていう日当たりの良いガケも、見てみるといいですよ」
「見るだけなら、深谷駅もいいかも! 新紙幣の渋沢栄一の故郷!」
うん? そっちも行ってみたい…
「イチローズモルトの蒸留所もオススメです、あそこのお酒、1億円で落札されたんですよ」
「熊谷は、日本初の女医さんの故郷なんですよ」
えっと…
「羽生市のさいたま水族館」「大宮公園のしらとばと」「氷川神社は行くべきですよ」「盆栽に興味はあります?」
……………
手帳が…あっという間に埋まった………
さらにその後、スタッフの中には千葉生まれと栃木生まれの方もいらっしゃって。そちらのスポットも手帳に書き込ませていただいた。
「皆さんなんというか、地元愛があるんですね。しかも、自然とかにやたら詳しい。」
こういった施設に勤めてるのも、自然が好きだからなんですか?と聞くと、
「そう…ですね。自然とガチンコで触れ合える職なんで好きです。
見てるだけじゃ満足できないんで。実際に触れて、作業して、疲れて。っていう自然とぶつかり合う感じが好きなので、やっていますね」
とスタッフの一方が答えてくれた。
なるほど、百見は一触に如かずとは、なにも知恵を得るだけじゃない、”満足できねぇだろお?”てなことも言っているのかもしれない。
たしかに、見るだけで楽しむ、なんてのは老後で十分だ。僕らはまだまだ若い。テレビで世界を見るだけで満足してどうする。自分の手で触りに行かなくては面白くないじゃあないか。
それじゃあと別れを告げるあたりで、自転車で旅をしていたという責任者の長谷川氏が、つぶやいた。
「日本一周かあ。いいなぁ」
次いで女性スタッフも、
「1年も…うらやましい!」
それを聞いて、気付いた。
私はついこの間まで、心のどこかで旅に出るのを恥じていたのかもしれない。風来坊になるなんて、遊び人なんじゃないかと。成功する見込みもないのに、意味のない努力なんじゃないかと。だからこそ、不安を拭い切れなかったのかもしれない。
しかし、そうだ。好きな人からすれば、うらやましいことなのだ。エールを送りたいことなのだ。
忘れていた。私も旅人がうらやましいと思ったから。文の仕事をして、仕事を探して、何度も市役所に行って。住居も引き払って。幾度も泣きそうな夜を越えて。
いやはやついに、ここまでなったんじゃあないか。
相応の努力をして。旅のチケットを勝ち取って。そして今、旅人と呼ばれることができた。
私は今、幸せ者なのだ。