稲を見に
7月23日
「はてさて、本当にこのまま海岸線を行っていいものか。」
蟹を食べたら割と満足したので、地図を開いて本当に見落としたくない場所はないか確認する。と、『見附』という地名を見つけた。
見附、見附…、どっかで見た名だな。見附島? いやぁ違う………あっ。
ハンドルを切り、内陸へと向かった。ちょうど寺泊から真東方面だ。
みつけ伝承館。
見附といえば大凧合戦が有名な催しであり、毎年6月には刈谷田川をはさんだ中之島との間で”合戦”が行なわれる。
上げた凧の見栄えを審査員が判定して…といった戦いではなく、凧同士を空で絡め、糸を切り合うという正真正銘の合戦であり、なかなか見ごたえのあるイベントらしい。
事実、明治時代には大衆の娯楽としてかなり人気となり、北越鉄道や栃尾鉄道に割引列車が、バスに増便が、各料亭に桟敷席が設けられるほどだったという。
でも私が見たかったのは、それじゃあなくて…。
「あったあった」
藍染めだ。
見附の名を知ったのは、染物で有名な地だからである。なんで染物なんて柄にないことを調べていたかというと、
何を隠そう。私の長羽織も、見附染めなのだ。
…だが、藍染の糸と藍ガメが二つ展示してあるだけで、その他にはとくに、なし。…もしかして有名じゃない?
「あ~、有名ですよ。染料で有名な土地でしたから。」
受付のおじさんに聞き、長羽織を買った店の情報は嘘ではなかったとホッとする。
「そういうのがもっと見れる場所、ありませんか?」
「ん~~~、今は…、ないかなぁ。昔はもっと盛んだったって聞くけど、今はほんと限られた工房でしか作ってないみたいだし。今の見附の名物といったら、ニットとか凧だよねぇ。」
「そう、ですか…。」
残念がっていると、なんだかおじさんも思い出したように残念そうである。
私の羽織も見附染めなんですと教えると、
「ほお、草木染めに見えますね。柄が入っているんですね。」
「あっいや、これは柄ではなくて、長旅で汚れが………。」
“かなりの年代物に見えます”なんてホホウと言われてしまったら、つい今年買ったばかりの現代品だなんてとても言えなかった。
まぁ、風格が出た、ということでよしとしよう。
見附の往年の暮らしも展示―ということで、穀物を選別するトウミや、稲穂からモミを取る脱穀機、粒の大きさをふるい分けるマンゴクなども展示してあった。そういえば新潟自体が米どころだったものな。
いろんな資料館で見るそれらを改めて見て、”こう使うんだ”と今更ながら理解を深めていると――。稲揺れる田んぼが、見たくなってきた。
「そいじゃあ、予定より早いけんども…、行こうかな。」
山の天気は芳しくなさそうだが。長岡から国道351へ入り、山へと向かう。
あっという間に緑生い茂る山道へと変貌する、国道を進む。
実は、新潟にも昔からお世話になっている親戚がいて。彼らはお米を育てているのだが、その光景を久々に見たくなってしまったのだ。
ご要望どおり、田んぼが多く目についてくる。だが山には霧が漂っており、小雨も降ってきた。先を急ごう…。
国道351から290、252、そして山古志へと至る352へ。
国道としては比較的狭く曲がりくねった道を、雨しぶきを巻き上げつつ駆け抜ける。夕刻ごろ、瀧水寺付近で思い出した、人里離れた部落に辿り着いた。
「久しぶり、いらっしゃい。」
と、幾年かぶりに顔を合わせる親戚に出迎えられて。軒下にバイクを停めさせていただいた。
振り返ると、雨雲の隙間から黄色い陽光が差して。雨粒で濡れた稲たちを、きらめかせていた。
ここ数日、何かありそうで何も見つけられなかった街中を巡っていた自分。
こういう、何もない、田舎の景色を久々に瞳に映すと、なんだか。たまらなく。目が細まる想いなのであった。