立石寺
7月19日
「じゃー俺は蔵王回って行くから! また!」
昨日の泉さんお手製の朝ご飯もご馳走していただいた後、彼のハイエースは13号線に消えていった。
まじめに撮った。
劈掛拳の練習をしていると、朝っぱらから強い日差しが降り注いでくる。今日はあの長階段で有名な立石寺だというのに。大丈夫か…?
天童から山寺へはさほど時間をかけずに行ける。山に向かって走り続けると、やがて穏やかな河が顔を出し、その周囲に観光客向けの店舗が多数現れる。
泳ぎたい。
今日は日曜日だ。観光客でごったがえさない内に、さっさと登ってしまおう。
長羽織はバイクに置いておき、開店準備で忙しい街道を早歩きで抜ける。
山のふもとにある根本中堂にて御朱印帖をいただいて、登山道入り口へ。
途中にある日枝神社の茶屋にて、旅人と知るや「がんばって」と声をかけていただいた。「なんか買ってく?」とか言われずただ応援されたのが妙に嬉しかったので、下りてきたらまた寄ろう。
登山道入り口。地味に300円かかる
「お荷物預かりましょうか」とご提案いただいたが、こちとらずっとこれを背負って歩いている訳で。手放したら負けな気がしたので遠慮した。
入り口からしばらくは、比較的傾斜が穏やか。頭上を数多の草木が覆っていることもあり、歩は快調に進んだ。「これぐらいなら、街歩きしてるときよりラクだな…。」
閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声
で有名な芭蕉の句をしたためた短冊が埋まっている、せみ塚あたりにて「こっから傾斜がキツいのよ」なんて他の登山者の声が聞こえてくる。確かにそうだが、まだ許容範囲内だ。
ちなみに芭蕉と弟子の曽良が登ったのは夕刻とのことで、おくのほそ道によると”土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉ぢて物の音聞こえず—"とのことで、まぁ句にあるように静かだったそうである。
だが今は…。正直、観光客の皆さんで騒々しい。
奥の院までの八百余段は修行者の参道といわれ、ここを開山した慈覚大師の足跡を先祖、そして子孫も踏んでいくことから、親子道とか子孫道とも呼ばれているらしい。
石段を一つ、また二つと登るたび煩悩が消えるそうだが、今の私の煩悩は…。
「人のいない写真を撮りたい」
私もまた観光客の一人なので我儘極まりないのだが、それでもいつも一人で各地をほっつき歩いている身としては、正直鬱陶しく感じてしまうのだった。
仁王門を抜けると、草の笠がなくなり太陽が一挙に背中を炙り出す。その熱と急を増す階段のおかげで、さすがに息が上がってきた。だが足を止めるほどではない。
登山開始から約20分後。宝珠山立石寺奥の院へと到着した。
顔をつたう汗に目を細めながら、振り返って見える景色に感嘆する。
「階段だけでけっこう高くまで来れるもんだねぇ…。」
もう少し上にある五大堂に行けば壮大な展望が見られる、と看板が言っているので、もう少しだけ脚を働かせる。
おお、これは確かに…。来た甲斐があるな。
岩肌から張り出た木造の小屋から、山寺一帯が見渡せる。
“どれ、せっかくだから記念写真を…。”と三脚を設置し始めると、いち早く来て撮影していたカップルがそわそわしている。だから、
「あっまだ時間かかるので、どうぞどうぞ。」
…その譲り合い精神が、えらい状況を招いてしまった。
けっこうそのカップル、撮影に時間がかかる。「…不慣れなのか?」
こちらはもうとっくにセットアップ完了なのだが。ふと下を見ると、後続の観光客たちがぞろぞろと……。ああ、これはヤバイやつや。
あっという間に人混みになる小屋の中。コロナがみんな恐くねーのか。
終いにはシートを敷いて座る老人まで現れて、場はちょっとした混迷を極めていた。
“あの時…、あの時、あんなことを言わなければっ………!!”
私の煩悩は、800段の石段では消せなかったようである。
~~
30分粘って、なんだかな写真を撮って下山する。
べつに普段だったら急いでいるわけでもないのでいいのだが、今日は訳が違った。もう一ヶ所、行きたい場所があったので心中穏やかではない。
「正直、そこまで疲れなかったし…。心中は清々しいとは言えないし……。やはり、もう一歩きしないと気が済まんね。」
こちらの立石寺は余興。私らしい修行はここから始まるのだった。
続く