命を賭して
7月17日
「いやぁ、すばらしい。」
しばらく大雨の予報ナシ。長かったトンネルの出口は着実に見えてきていた。
今日はお風呂に入る予定だったが…、久々の青空。今日は山も越えるし、走ろう。
カビ臭くなっていた装備品を乾かし、イグニッションを入れた。
「お~、山形っぽい。」
広大な田んぼと典型的な山の形を描く陰を横目に、月山・湯殿山一帯を越える国道112号を走る。
山形市と鶴岡を結ぶいわゆる主要国道で、道は悪くなく山間を快走できるのだが、通り過ぎずにここらで一つ寄りたい場所があった。元同僚の話によると、即身仏があるそうなのだ。その場所の名は『湯殿山総本寺
大日坊瀧水寺』。
道の駅月山を過ぎたあたりで、その寺の看板を発見。県道351へ分岐する。いかにも村の民が使うといった道で路面は狭くやや荒れてるが、ロケットⅢでも難なく進めるレベルだった。
駐車場にバイクを停め、村を少し眺めつつ寺へ。
のどかな場所だ。やや風化した民家の前には、用水路へと流れ出る池が備え付けられてあり。周りに家庭菜園が作られていた。よく家族で行く、新潟の山奥にある親戚の家みたいだ。
見下ろすと棚田も見える。
到着。
即身仏といえば平たく言うところのミイラであるわけで、つまり遺体であるわけで。歩を躊躇うほどではないが、ちょっと緊張した。社殿もどこか緊張感が漂っており、受付に近づけば…。
お坊さんが一人、窓口に背を向いて座っていた。こちらの足音に気付いたのか、いそいそと何やら片付け始める。何を持ってるんだろう…
…あ。
Nintendo DSじゃないか!!
ゲームやってやがる! おい緊張感! 別に咎めはしないけどさ。
拝観料500円を渡すと、中へ通され「どうぞ座ってお待ちください。すぐ説明しますので…。」と言われる。お、どうやら見るだけじゃなく説明もしてもらえるそうだ。
さすが凄い内装。再び漂う緊張感。
正座をして待っているとDSのお坊さんがやってきて、奥の仏様のある間に入り、カネを鳴らしたり大きな太鼓を叩いたりしながらお経を詠み始める。しばらくすると、大幣で頭をフサフサさせられたりする。お、どうやら説明だけじゃなく、御払いもしてくれるようだ。
そしてここの由緒などを教えられた。
ここは807年に弘法大使が開創された場だそうで、古来湯殿山は雪深い場所でさらに女人禁制だったため参拝しづらく、それを哀れんだ大使がこの大網の地に礼拝所をつくったそうだ。かつてはもっと山奥にあったそうだが地滑りに遭ったため…いてて脚が辛くなってきた。遭ったため、昭和ごろこちらに移転されたそうだ。今でも地滑りは落ち着かず、元の場所に戻せないとか。
今でこそ小ぶりに見えるが一時は日本最大のお寺といわれたここは、実は壮絶な歴史があったりする。
かの有名な日光東照宮や、同じく山形に在る羽黒山を、神を崇める神社に変えさせた明治時代の神仏分離令。政府の力もあって数多くの僧侶が宮司に鞍替えせざるを得ない状況だった中、なんと当時のここの僧侶は”絶対にここは寺でなきゃならん”と反発した。
その結果、その僧侶は殺害され、社殿も燃やされてしまった…という哀しい過去があるのだ。
いったいそうまでして、何故人は何かをを行儀よく整えたがるのだろうか。
DSのお坊さんは「立場上これ以上は言えませんが」と言いつつ、なぜかそのあたりを繰り返し説明する。強調しているのか、それとももしかして天ね…あいたたた脚崩そう。
ひととおり説明が終わると、いよいよ即身仏のもとへ案内された。
撮影禁止なのでその御姿は見せられなかったが…。一言でいうと、圧巻だった。
パッと見はガイコツに見えるが、目を凝らすと骨は丸見えになっておらず、薄く皮が依然として張られているように見える。
こちらの即身仏・真如海上人様は、鶴岡に生まれたのち純真な心を失わぬまま育ち続け、弱肉強食の世の中を憂いて湯殿山大権現を進行し始めた。そして20代の頃より即身仏を志し、はじめは米や大豆、小豆、次に栗、蕎麦、きび…最後には塩と水のみの食事となる木食行を行い、96歳で土中に入定、即身仏となった。
ミイラと違い、防腐処理などを施さなくてもこの形が残る。自らの手で自身の形を残すのが、この荒行の境地なのだ。そのせいか、エジプトのドキュメンタリーで見る遺体とは違い、その御顔は穏やかに微笑んでいるようだった。しゃれこうべってそう見えるもんだけどさ。
しばらく海上人をじっと見据えてみる。
…そこまでして、そこまでしてか。
極めて低次元の思考だが、”どうしてだろう”という想いが真っ先によぎった。
70年以上、70年以上もだぞ? そんなに辛い想いをして、命を投げ打って。そこまでしてこの世を救いたかったのか。
正直私は仏神の類をそこまで信じちゃいないが、ここまでされてしまっては。もう、肉体の頭だけではない。魂全てをひれ伏しても適わないほど崇拝せざるを得なかった。
たしかに。たしかに、今は弱肉強食がそれほど如実に表れていない世の中になっている。これは数多くの歴史が、人が導き出した末の結果なのだが、その懸命な努力の中に、この人のこの修行は大きな割合を占めているのではと思った。
即身仏で平和になる。そんな科学的な根拠などどこにもないが、そうなのだと確信した。
往年の神仏分離に逆らった坊さんもそうだが、人は命を賭してここまでの説得力を生み出せる生き物なのだ。
その後、さまざまな仏様が祀られた回廊を通され、見学は終了となる。
ちなみにここは、かつて大奥で有名な春日局が、息子の竹千代を将軍にしてくれと祈願した場所でもある。その願いが叶って、平凡であったといわれる竹千代が三代将軍家光になったというのだからすごい。
このお寺は珍しく霊を弔う場ではなく、祈願所としての役割であるらしい。だから、社殿には祈願用のろうそくが置かれているし、霊を呼ぶから止めろと普通のお寺では言われる手を叩く行為も許されている。
ここは私も一つ、野望を叶えたいがため…。
諸願成就のろうそくに火を灯した。
なんの野望かって? それは言えないが………。
まぁでもともかく、私も命を賭して何かを成してみたい。そう思ったのは確実である。