深山の小町
7月13日
秋田の素晴らしいところは、多くの道の駅に24時間休憩スペースが設置されているところである。大潟、男鹿、そして羽後と…。行く先々全てでお世話になった。
特に昨日は豪雨でテントの張りようがなかったため、初めて駅の中に寝袋を敷いたしだい。行く先々で24時間アイドリングストップのトラックがいるのと何故か大騒ぎする輩共がいるのは玉に瑕だが、大いに助かった。
今日も昼が近づけば湯沢地方には雨が降るらしい。さっさと身支度を整え、本来の目的地・雄勝に入った。
雄勝町は山形・宮城に隣接した秋田の玄関口であり、四方を山に囲まれた中で農業を営む静かな地だ。名物は秋ノ宮温泉郷や院内銀山、そして何より、世界三大美女の一人に数えられる小野小町だ。
道の駅から近い場所に、毎年『小町まつり』なる行事が行なわれる『小町堂』があると聞き、そちらへ向かう。
囲む山々は深山幽谷…といった感じか。まぁ谷ではないが。いかにも雨足がすぐそばまで来てそうなので、歩を早める。
道中、『小町の郷公園』を通る。ここには小野小町伝承にまつわる遺跡をイメージした設備が整えられているとのことで、いわば縮小版湯沢小野地区である。急いでいる身にとってはありがたかった。
小野小町。西暦809年にここらで生誕したという絶世の美女。でありながら、幼くして母を亡くし乳母に養育されたため、和歌や踊り、都言葉にしきたりなどにも精通した、まさに才色兼備の方である。
13歳で京に上り帝の寵愛を受けたが、36歳で故郷が恋しくなり帰郷したとのこと。いじめか? いじめに遭ったのか??
36歳か………まだまだ輝ける歳だな、うん。
その小町が帰郷したのを黙ってみていなかったのがこちらの深草少将。小町を追って東下りし小町に恋文を送ったそうだが、小町はそのころ疱瘡にかかっていた。
「芍薬の花を百本植えてくれたら、あなたの心に添いましょう」という時間稼ぎともとれる要求で小町は少将をしばし待たせ、自分は磯崎神社の泉で毎日顔を洗い、一刻も早く疱瘡を治そうとした。
顔を洗ったという小町泉(のイメージ)
少将もまた一日も早く小町に逢いたいと芍薬の花を毎日届けたそうだが、最後の百本目を送る道中、橋を渡る途中に大雨で橋もろとも流され、亡くなってしまったそうだ。
少将ぉ…! 馬鹿っ……!(涙)
少将の死を悲しんだ小町は桐善寺に石碑を建て、自身は岩屋堂に閉じこもり歌を詠んだり、香を焚いたり、自像を刻んだりしながら生涯を終えたそうだ。その享年なんと92歳。
小町堂。
大きいわけではないが、真っ白な漆喰と朱塗りが小町の気品の良さを表している。
華やかな京からこの山深い僻地にまで舞い戻ってきた奥ゆかしい小野小町。そしてそれを追い、同じく都を捨ててきた深草少将。
便利さだとか名誉より望郷や愛を選んだ二人を待っているのが、悲劇だなんてあんまりだ。
幸いなのはそんな悲恋話が、こんな山奥の場でも多くの人に語り継がれていることぐらいか。
「…語り継がれないだけで、そんな目に遭った人はいっぱいいるのかもなぁ……。」
道の駅への帰路、変わった見た目の木の枝だか、実だかを歩道で発見する。人差し指の半分ほどの大きさのそれは、一部分だけ白くなっていて。さながら、烏帽子をかぶった平安時代の男性のようだった。
「………。」
せめてあの世では、仲良くやんなよ。