港の、お洒落で、切ないまち
6月30日
結局昨日は、稚内から小樽まで。北海道の背中を駆け降りる、300㎞超えの大移動をしてしまった。
その結果、小樽に入る直前で雨雲レーダーにはなかった雨に打たれ。装備は濡れるは臭うわで、ズタボロの状態で公園に野宿。
「小樽なんか来るんじゃねかった。」なんてどうしようもないセリフを吐き捨てたのだった。
陽が昇り、気を取り直して小樽散策に出る。
「これが小樽の運河か…。」
久々に見た気がする青空が、運河に反射している。黒ずんで。
よく見てみると運河は汚れていて、ゴミがときたま流れていた。うーん。
左に現代の街、右に往年の倉庫といい味のアシンメトリーなのだが、美術館や食堂などが、けっこうな割合でコロナの影響により閉鎖中。うーん。
”おしゃれな街”小樽を想像していただけに、少しがっくしきてしまった。
とはいえ運河から小樽駅の方面は賑やかで、人も多い。ドンキとかもあったり、幅広のアーケード街もあったりして。北海道で見てきた中では、函館や旭川に並ぶ街並みなんじゃないだろうか。
函館よろしく運河から駅までは坂になっており、その途中途中にこんな感じで明治時代の建物が残っていたりする。こちらは『日本銀行旧小樽支店』だ。
この他にも古い銀行が点在していて、北のウォール街と呼ばれていたそう。
夢を抱いて小樽にやってきた若者が、はじめは艀(はしけ…波止場と船の間で荷物を運ぶ小舟)を漕いで下働きをし、やがて自分の城を持ち始めると、ウォール街で幅を利かせるようになった…らしい。
銀行もあれば、倉庫もあり。貿易で栄えた港湾ということもあり、やはりどこか函館に似ている感じがした。
ただ小樽は東にそこそこ広い駐車場のあるイオンだとかがあったりして、函館ほどギュッと狭いイメージは感じなかった。山も抱えてるし、港としての土地が必要なのも同じ。何が違うのだろうか…。
運河の西方面は、少し物寂しい雰囲気になる。
こんな建物が運河に佇んでたりして。ホラーだね。
坂の方もも、西は古いマンションやシャッター街が並んでいたりして、東側とのギャップが激しかった。これまたアシンメトリーだ。
小樽倉庫No.1・小樽ビール醸造所で「呑みたい…」とつぶやきながら昼飯を済ませると、ロケットⅢの元へ戻ることにした。
ここの観光用駐車場も、二輪車”1回”200円と非常にリーズナブル。こういうとこ、本州でももっと増えないかなぁ…。難しいんだろうが。
帰る途中、”そうだった”と思い出してある場所へ寄る。
そしてある方へ電話をかけた。
“はーい、梶井ですけどー。”
「あ、梶井さん? 数週間前に、朝ご飯をご馳走になった木村ですけど…。」
そう、宮城で出逢った、小樽から来たという梶井家の奥さんだ。しっかりと私のことを覚えていてくれていた。
「今、例の小樽市立病院にいるんですけどね。いやー、様変わりしてますねぇ。」
“あらそー。でも、場所は変わってないんでしょ? 通りの奥に住吉神社があったりして…。”
「神社…、ああ、ありますあります! ここで合ってるみたいですねー。」
ここで働いてたんだよ、と見せてもらった絵の場所が、今どうなっているか。それを確かめるべく小樽に来たのを、すっかり忘れていたのだ。
梶井の奥さんは、この記事をちょくちょく見てくれているらしく、ついこの間は稚内だったのに…と驚いてくれた。…うれしいなぁ。
“ちゃんとたくさんご飯食べて、元気に旅を続けてくださいね。”
「うん、わかりました! ありがとうございますー。」
ちゃんとご飯は食べてるけど、”たくさん”ってのは、なかなか難しいです、梶井さん。あのとき頂いたご馳走に並ぶ量なんて、そうそうないですから。
小樽の街を、札幌方面に向けて抜け出る。
脚で歩き回った道を、バイクであっという間に駆け抜けるこの瞬間は、いつも爽快なようで寂しく思える。
それにしても小樽、最近見た気がすると思ったら、実家にいたときテレビ番組で観たんだったな。あの番組で知った曲、『イージュー★ライダー』は今のヘビロテだ。
土岐麻子氏カバーの、カラッとした音調のそれを早速かけると。それが時に忘れ去られたような倉庫街と妙にマッチして、なんだか少し切なくなった。
“何もないな、誰もいないな
快適なスピードで…♪”
北海道も思えば、あと少しで終わりだなぁ。いろいろなものを見たなぁ、いろいろなものに驚いたなぁ・・・。走りまくったなぁ…。
そうだきっと、こんなに快走できるのは北海道ぐらいなんだよな。それに気付くと、残された道を、大切に、大切に走ろうと思わざるを得なくなった。