不振返
6月18日
「いってきます!!」
ウニとか朝ご飯とか風呂などを用意していただき、忘れることなどできない御恩を覚えたマルさん夫妻。
また久慈に来ると誓い、熱い漢達のいる町に別れを告げた。
さて、もう東北北部も梅雨入りが眼前に迫ってきた。それはつまり、海を渡る時期も迫ってきたということである。
「いよいよか…」
“購入完了”との画面を見て、ついにここまできたかという気持ちに否応にもなる。
大間―函館フェリーの予約を、21日日曜日に入れておいた。
となれば、土曜日までには大間あたりについておきたい。青森のまさかりはなかなか長いぞ。
意外と街中で驚いた八戸を通り過ぎ、ひとまず三沢あたりまで歩を進める。
ここまでくると、岩手よりさらに僻地に来た感じがするな…何もない。
と思いながら走っていると、興味深い看板にひかれて横道にそれた。
『青森県立三沢航空科学館』である。そういえば三沢には軍の基地もあったんだっけ。あまりにも何もない風景は、そのためでもあったようだ。
(そういえば昨日見たニュースで、三沢基地に来た米軍がコロナに感染してたって言ってたな…)
館内に入ると飛行機が数多く目に飛び込むのかと思いきや、電気や磁力、気候変動や音の仕組みなどなど、科学の世界を紹介するコーナーが満載であった。
学校で習った誘導電流や、バイク雑誌編集部に勉強したギヤのかみ合わせの仕組みなどが分かりやすく体感でき、飛行機関係なしに面白かったしだい。
本題の飛行機たちももちろんいる。
どうやらコックピットにも本来入れるようだが、コロナのおかげで見るだけとなっていた。残念。
ほかにも体験型アトラクション(?)があるようでスタッフたちが待機していたが、お客さんは私一人だけ。かなり暇そうでかわいそうだった。
せっかくだから、童心にかえって積極的に参加させてもらえばよかったと後悔する。
ミス・ビードル号。
クライド・パングボーンの手によってここ三沢の淋代海岸から離陸し、ワシントン州ウェナッチバレーに到着。見事、太平洋無着陸横断を成し遂げた飛行機(のモデル)である。基地があるからではなく、この伝説があったからここに科学館が出来たのだろうか。
太平洋のど真ん中で墜落したら、いったいどうするつもりだったのだろうか。約3,600ℓ(ドラム缶18本分)もの燃料があったとはいえ、後戻りなど絶対できない旅だっただろう。
その勇気を、少しでも意気地なしな私に分けてもらいたいものである。
館の外には、実際に活躍していた航空機たちが安置されている。
ぶっちゃけ、無料で見れるこっちの方が楽しい、という人はいるだろう。
この前東京上空で飛行したブルーインパルス仕様のT-2や、要人輸送用だったUP-3Aなどなど。
UP-3Aはなんと中に入ることもできた。
滅茶苦茶スイッチがある。こう見ると、バイクに乗ることの以下に簡単なことか。
操縦桿を握って記念撮影をしようとしたら、まさかのバッテリー切れ。予備も、こういう時に限ってバイクに置いてきてしまった。
「あー…、戻って取ってくるかぁ…。」
とも思ったが。やっぱやめた。
正直めんどくさかったのが主な理由だが、なんだか太平洋上を一直線に前進した飛行士のことを見た後だと、そういう細っちぃことをするのがカッコ悪く思えたのだ。
後々撮ればよかったと後悔するとしても、いちいち振り返ってその場に立ち尽くしていたら、前に進めない。後悔抱いて、前進あるべきだ。
そういえば昨日の晩酌で、マルさんも言ってたな。
“後悔のない人生をなんていうけどさ、それはそれで、苦な人生なんじゃないかなぁ”と。