追憶③
もう、駄目だ。今夜は、ブルーになりたい。
飛行機を降り、東京から居宅のある淵野辺へ帰ってくるころには、空はもう青黒く染まっていた。
自炊をする気力もなく、コンビニで『ほろよい』とおにぎりを買い、近くの公園で涙の晩酌をしようと試みる。
視界がほぼアスファルトに埋もれるほど項垂れながら歩いていると、ふと横から暖色の光が差し込んできた。居酒屋…、いや、スナックってやつだろうか。
…。
入り口は門を越えた先の、飛び石のある庭のその先にあるらしく、3階建ての住宅を基にしているであろう店構えは金がかかってそうなつくり。…正直、入るのに勇気はいっただろう。いつもならば。
「まぁ…、今は、いいか。スナックなんて入ったことないけど、もうこの際、どうなってもいい。どうにでもなれ。」
そう、ふらふらと飛び石を渡り、扉を開けると。
「おかえりなさーい!」
との言葉を浴びせられる。
“おかえりなさい”とは飲み屋ではよくある挨拶であろうが、それでも普通、初めて来たならば一瞬”知らない人が来た”と身構える間があるはずである。
だがここは、そんな間など刹那もないほど完璧なタイミングで、おかえりなさいと、言ってくれた。壮年で痩せ気味の女性が、椅子で脚を組んだまま。おそらくタバコで掠れた声で。
店内は外観から抱くイメージを裏切らない洒落た内装で構成されていた。
極厚の木材を使ったであろうL字カウンターは橙の照明をぼんやりと反射し、天井にはその証明だけでなくシーリングファンも回っている。カウンターに通されてから見返すと、入り口付近にはピアノもあった。
店にはすでに4人ほど客がおり、席に着くなりいろいろと尋ねられた。
「初めてだよね? よくあの玄関入ってこれたね。」
「まだ若くない? いくつ?」
「どうやってここを知ったの?」
などなど。
一つ一つ説明し、今日のできごとを話させていただく。福岡帰りであること、思わず涙してしまったこと、今日はもう、どうでもよくなっていたこと。
「なんだそりゃぁ、俺だったら絶対に従業員にそんなこと言わねぇよ!」
「あそこの公園行かなくてよかったねー、あそこ夜はホモがいるよ!」
「あんたの気持ち間違っちゃいないよ、その上司がおかしい。」
さきほど出迎えてくれたママ含め、客たちはみなかなり年上のようであるが。
それでも、若輩者の私の話に耳を傾け、同情してくれた。
そんな、先ほどまでとは。ただ一人で俯き歩いていた先ほどまでとは打って変わって、悩みを話せ、それに返事があり、理解してくれる人がいるこの状況に。
私は感動を通り越して、呆気にとられていた。いったいぜんたいなぜ、こんな雰囲気に紛れられたのだろうか。
人生は、何が起こるかわからないとは。
この日よく理解した。
「新社会人ってのは大変だねぇ。またなんかあったらさ、ここに来なよ。みんなで話そうよ。」
新社会人として最悪となったこの日は、新社会人となり初めて心を明かせた日にもなった。